吉葉礼子
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吉葉 礼子 | |
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プロフィール | |
リングネーム | 吉葉 礼子 |
本名 |
田口 禮子 (旧姓:松永) |
誕生日 | 1937年10月11日 |
死亡日 | 2008年9月18日(70歳没) |
出身地 | 東京都目黒区 |
スポーツ歴 | 柔道 |
デビュー | 1955年 |
引退 | 1968年 |
吉葉 礼子(よしば れいこ、1937年10月11日 - 2008年9月18日)は、女子プロレス黎明期に活躍した元女子プロレスラー。本名:田口禮子(旧姓:松永)。元全日本女子プロレス会長の松永高司はひとつ上の兄。妹の山口洋子、長女の影かほるも元女子プロレスラー。東京都目黒区出身。
人物
[編集]兄たちから柔道を習い、1955年に全日本女子プロレス協会(全日本女子プロレス興行とは別団体)に入門。リングネームは当時の人気横綱であった吉葉山から取って付けられた。
1956年1月、日大講堂で全日本バンタム級王者の立花蓉子に挑戦しドロー。
1960年に一度引退。マネージャーとして巡業を回っていた。
1968年、兄が全日本女子プロレスを旗揚げすると、短期間ながら選手復帰を果たす。引退後は全女ではマネージャーとして全盛期を支えた。
退社後に結婚して1男2女を儲け、長女は影かほるのリングネームで母と同じ道を歩んだ。
2008年9月18日19時3分、肺がんにより死去[1]。70歳没。
得意技
[編集]脚注
[編集]- ^ “全女創生期支えた吉葉礼子さんが死去”. 日刊スポーツ. (2008年9月20日) 2019年6月24日閲覧。