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吉羽天満宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉羽天満宮
所在地 埼玉県久喜市吉羽前358
位置 北緯36度3分34.3秒 東経139度41分34.7秒 / 北緯36.059528度 東経139.692972度 / 36.059528; 139.692972 (吉羽天満宮)座標: 北緯36度3分34.3秒 東経139度41分34.7秒 / 北緯36.059528度 東経139.692972度 / 36.059528; 139.692972 (吉羽天満宮)
主祭神 菅原道真公
別名 吉羽天神社・天神社
例祭 7月25日
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吉羽天満宮(よしばてんまんぐう)は、埼玉県久喜市吉羽前358にある神社吉羽天神社(よしばてんじんじゃ)または単に天神社(てんじんじゃ)とも称される。

祭事

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祭事

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7月25日(現在では7月25日近くの日曜日)には獅子舞(おししさま、おしっさま)を奉納する行事がある。この行事は戦前までは盛んであったが、戦後になると次第に衰退し途絶えていた。その後、1962年昭和37年)頃の獅子舞に関する録音テープが発見され、1982年(昭和57年)より徐々に復興され現在に至っている。[1][2]この獅子舞は久喜市無形民俗文化財の一つである。

この他に、かつて火渡り行事が1月25日に行われていたが、今日では行われていない。[3]この行事には「火渡りをすると長生きをする」[4]という伝承がある。

境内

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天神池(2011年11月)

境内地面積は734である[5]境内施設として本殿鳥居・社務所・社叢手水舎・天神様児童遊園(ブランコ滑り台うんてい)・灯籠1798年寛政10年)奉納阿形吽形狛犬一対久喜市久喜区域では最古のもの)・1783年天明3年)奉納の道標便所などである[6]

南側には小高いが存在しており、その山の登り口付近に「武州埼玉郡吉羽村」と彫られた石碑が所在している。また同地は久喜市の自然環境保全地区[7]となっている。そのためプラタナス・ムクロジュなどの保存樹木も植生している。[8]

天神池

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天神池(てんじんいけ)は久喜市吉羽字前に所在するである。吉羽天満宮の南方に所在しており、明治期の記録である武藏國郡村誌には「東西十三 南北十間八分 周囲四十五間 村の南方字前にあり」という記述がみられる。[9]この池には「を7まわりすると大蛇が出る。(別説では、7まわり半するとヌシが出る)」というものや「昔、池に大蛇がいて引き込まれる」という伝承伝説がある。[10]

境内社

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境内社として御嶽神社浅間神社稲荷神社猿田彦大神妙義神社十一面観音が祀られている[11]

現地情報

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所在地
交通アクセス
  • 最寄バス停:朝日自動車バス停「沼向公園入口」下車後、徒歩約5分
周辺

脚注

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出典

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  1. ^ 『久喜市史 民俗編(343ページ)』 久喜市史編さん室 編集 埼玉県久喜市 発行 平成3年3月25日 発行
  2. ^ 『久喜市史調査報告書 第3集 久喜の祭りと行事(44・45ページ)』 久喜市史編さん室 編集 久喜市 発行 昭和59年3月25日 発行
  3. ^ 『久喜市史調査報告書 第3集 久喜の祭りと行事(16ページ)』 久喜市史編さん室 編集 久喜市 発行 昭和59年3月25日 発行
  4. ^ 『久喜市史 民俗編(238ページ)』 久喜市史編さん室 編集 埼玉県久喜市 発行 平成3年3月25日 発行
  5. ^ 『久喜市史調査報告書 第一集 地誌(188ページ~189ページ)』 久喜市史編さん室 編集 久喜市 発行 昭和58年3月25日 発行
  6. ^ 『平成19年度 久喜市市民大学 大学院研究論文集Ⅰ 久喜市神社と神域の護持像、狛犬の調査(111ページ~113ページ)』 久喜市市民大学 発行 平成20年2月16日 発行
  7. ^ 「自然環境保全地区」 (PDF) - 久喜市ホームページ
  8. ^ 「久喜駅東口コース」 久喜市観光ウォーキングマップ (PDF) - 久喜市ホームページ
  9. ^ 『武藏國郡村誌 第十一巻(295ページ)』 埼玉県 編纂 埼玉県立図書館 1954年 発行
  10. ^ 『久喜市史 民俗編(225ページ)』 久喜市史編さん室 編集 埼玉県久喜市 発行 平成3年3月25日 発行
  11. ^ 『平成19年度 久喜市市民大学 大学院研究論文集Ⅰ 久喜市神社と神域の護持像、狛犬の調査(112ページ)』 久喜市市民大学 発行 平成20年2月16日 発行

関連項目

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外部リンク

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