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吉田愛一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

吉田 愛一郎(よしだ あいいちろう、1947年1月21日 - )は、GreenT株式会社取締役会長、グリーンテック株式会社取締役会長、株式会社グリニッシュ代表取締役社長。NPO法人サンエナジー理事長。さいたま市獣医師共済組合事務局長。

経歴

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現在

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ローラースケート

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ランニングシューズにローラースケートを付けたRoller Joggerを日米で製造販売する。イメージキャラクターにO・J・シンプソンを起用。世界はローラースケートブームに発展する。日本では東急ハンズ、ムラサキスポーツで爆発的に売れた。

3Sスポーツ

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サーフィン、スケートボード、スノーボードをいう70年代 文部省などがスポーツとは認められないとされていた3種目を推進。先の長野オリンピックと東京オリンピックではその全てが公式スポーツとして認定された。

ゲータレード

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スポットビルトアジアの社長として、日本でゲータレードの販売を行った。吉田は大学でアメリカンフットボールのコーチを歴任するうちに日本の運動用具や練習方法にに疑問を持つようになったが、特に当時運動中に水分を取るべきではないとする理論に疑問を持ち、アメリカのスポーツ飲料ゲータレードの普及に乗り出した。運動具店をメインマーケットとしたが、運動具店には冷蔵庫が無いことから小袋入りの粉末での販売となった。

スポットビルト

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アメリカンフットボールのヘッドコーチだった吉田は、遅れていた日本のスポーツシューズ業界にアメリカ製のシューズを参入させようとして、まずスポットビルトのフットボールシューズを輸入した。しかしアメリカ製のシューズは1ドル360円時代にはとても大衆が履けるものではなかったので吉田はアジアで製造することを提唱しハイドの副社長レオナルドフィッシャーもこれに賛同した。苦労の末出来上がったのがフィリピン製のサッカニージャズである。ジャズはそれまでの細いラストではなく足の指が楽なワイドウィズである。NFLのO・J・シンプソンスポットビルトの契約選手。

サッカニー

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1976年アメリカの親会社がサッカニーを買収したのでスポットビルトアジアがアジアでの販売を担当することになった。

サッカニージャズは吉田が関わったアジア製のランニングシューズである。現在はABCマートが販売している。

Greenish House

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ケニアの首都ナイロビのダゴレッティ地区に吉田愛一郎とその母吉田千鶴が1990年に建設した孤児院。現在のABCセンターの核となった。三菱銀行を始め多数の日本企業の支援があった。

アルディナウペポ

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アルディナウペポは野生動物保護のグリニッシュの一部として活動を始めた。その後正式に吉田愛一郎の母吉田千鶴が代表を務め現在に至る。

2020年引き渡し式は1月19日に執り行われ、翌月2月、アルディナウペポが設立したウガンダのグルの職業訓練校が現地の人たちに受け渡された。

フェアートレード

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日本のフェアトレードは、1972年株式会社K&Y(現在の株式会社グリニッシュ)の代表取締役によって始められたケニアからのGreenish Teaが最初とされる。 紅茶の輸入は現在も継続されていて、東アフリカで孤児院や職業訓練校の設立資金にもなっている。Greenish Teaは半世紀以上、キリスト教の教会やミッションスクールで販売が継続されている。

親族

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書籍・執筆

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出典

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  1. ^ 日本で初めてのオフェンス4-3-4のディフェンスを採用した。
  2. ^ 1970年代に成城大学と和光大学でアメフト部の監督を務めた。
  3. ^ 様々な活動」Greenish2017年12月28日(木)14:41閲覧。吉田愛一郎は母千鶴の後ろ盾になり、ナイロビのダゴレッティー地区に孤児院Greenishハウスを建てた。これが米国のNGOFTC(フィーザチルドレン)のアフリカの基礎となった。大きくなった孤児センターの中心の定礎にGreenishハウスの名前が刻まれている。
  4. ^ 公益財団法人社会貢献支援財団平成23年度受賞者一覧”. 2017年12月27日 (水) 14:21閲覧。 “アフリカとの貿易業で得た売上を、野生動物の保護に投じる活動などしていた。1994年、密猟者の銃弾に倒れたレンジャーや部族間の抗争で親を殺された子どもたちのために、ナイロビに孤児院を建て、多くの孤児肢体不自由児を収容した。またウガンダ北部で、少年兵慰安婦として誘拐される子どもたちを守るためにシェルターを建設し、戦争が終結するとそこに洋服を作る職業訓練校を開設するなど東アフリカの人々のために40年近い活動を続けている。”
  5. ^ オルタナS「電園復耕」 2017年3月8日 (水) 13:29 閲覧。69歳の現役の学生である吉田愛一郎が人生をやり直すとすればこうしただろうと言う生き方を書いたもの。
  • 成城大学フットボール 50年史
  • 老人と海 英語版
  • 「オルタナ」暗闇の飽食

参考文献

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  • 「シリーズ人間 子供の涙は見過ごせない-だから、私はアフリカに行く」『女性自身』2017年11月7日号、光文社、p.60

関連項目

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外部リンク

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