吉田太
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基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府豊中市 |
生年月日 | 1968年9月8日(56歳) |
身長 体重 |
180 cm 65 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1990年 ドラフト4位 |
初出場 | 1991年9月3日 |
最終出場 | 1993年6月26日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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吉田 太(よしだ ふとし、1968年9月8日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
来歴・人物
[編集]大阪高から東北福祉大学へ進み、3年秋に東北大戦でノーヒットノーランを達成。1学年上に佐々木主浩、同期に小坂勝仁投手、矢野燿大、宮川一彦、1学年下に金本知憲(1浪入学)、斎藤隆や作山和英両投手らがいるなか、投手陣で左腕として活躍した。1990年の4年次、先発小坂勝仁を擁して小池秀郎擁する亜細亜大に1-2で惜敗し大学選手権準優勝。リーグ戦通算13勝1敗。同期の小坂と投の両輪として矢野燿大とバッテリーを組んでいた。
1990年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから4位指名を受け入団。矢野も中日から2位指名を受けたため、プロでも同チームとなった。
プロ1年目の1991年から一軍登板を果たすと、1992年のジュニア日本選手権では先発して8回2失点と同点で降板の後でチームは延長サヨナラ負けも敢闘選手を受賞。しかし一軍では結果を残せず1994年限りで現役を引退。これが矢野の奮起を呼び起こしたとも言われる(詳しくは矢野の項を参照)[1]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1991 | 中日 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 31 | 6.2 | 5 | 0 | 5 | 0 | 1 | 1 | 1 | 0 | 4 | 4 | 5.40 | 1.50 |
1992 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 5 | 0.2 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 4.50 | |
1993 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 17 | 3.2 | 5 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 2 | 4.91 | 1.64 | |
通算:3年 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 53 | 11.0 | 12 | 0 | 7 | 0 | 1 | 3 | 1 | 0 | 6 | 6 | 4.91 | 1.73 |
表彰
[編集]- ウエスタンリーグ最優秀救援投手:1回 (1993年)
記録
[編集]背番号
[編集]- 25 (1991年 -1994年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 吉田太 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)