コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

吉田セイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

吉田 セイ(よしだ セイ、1909年(明治42年)12月24日[1]1976年昭和51年)7月26日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。旧姓、林[1]

来歴

[編集]

山口県出身[注 1]。山口県立厚狭高等女学校(現在の山口県立厚狭高等学校)時代の1924年極東オリンピック砲丸投の日本代表に選ばれ、9m58の日本新記録を樹立した[3]。卒業後は産婆の資格を取り[1]、その後、広島女子歯科医学校に入り、1931年に卒業[注 2]、東京で開業した[1][2]。のちに結婚し、歯科医を続けた[1]1940年に開かれる予定だった東京オリンピックで砲丸投げの選手として陸連に出場を希望した[4]。しかし、開催は中止となり出場の夢は断たれた[4]

戦後の1946年第22回衆議院議員総選挙神奈川県から新日本婦人党公認で立候補して当選した[4]。当選後は国民党から国民協同党に移り[5]、翌年の第23回衆議院議員総選挙で同党公認で立候補したが落選した[5]。その後衆院選に1度、参院選に3度立候補したがいずれも落選した[5]。その後は神奈川県教育委員[6]、同教育長や家庭裁判所調停委員[2]自民党神奈川県連相談役を務めた[5]。1976年死去。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』708頁では「神奈川県出身」と記載。
  2. ^ 『大衆人事録 第19版 東日本篇』600頁と『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』708頁では「昭和6年広島女子高等歯科医学校卒」と記載されてあるが、同校は1924年に閉校された。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e 『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』255頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』708頁。
  3. ^ 江刺昭子、史の会『時代を拓いた女たち : かながわの131人』神奈川新聞社、2005年、266頁。ISBN 4876453586 
  4. ^ a b c 『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』256頁。
  5. ^ a b c d 『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』257頁。
  6. ^ 『大衆人事録 第19版 東日本篇』600頁。

参考文献

[編集]
  • 『大衆人事録 第19版 東日本篇』帝国秘密探偵社、1957年。
  • 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年11月。
  • 岩尾光代著『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』(日本放送出版協会、1999年)ISBN 4140804394