吉沢忠男
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吉沢 忠男 | |
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生誕 |
1885年9月16日 日本 広島県 |
死没 | 1945年1月21日(59歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1907年 - 1941年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
吉沢 忠男(よしざわ ただお、1885年(明治18年)9月16日[1] - 1945年(昭和20年)1月21日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]1885年(明治18年)に広島県で生まれた[1]。陸軍士官学校第19期卒業[2]。1933年(昭和8年)3月18日に第20師団司令部附となり京城帝国大学に配属され[3]、8月1日に陸軍歩兵大佐に進級した[3]。1935年(昭和10年)3月に福山連隊区司令官に転じ[3]、1936年(昭和11年)3月に歩兵第68連隊長(第3師団・歩兵第5旅団[4][5])に就任した[3]。
1937年(昭和12年)8月2日に陸軍少将に進級と同時に歩兵第13旅団長(関東軍・第7師団)に着任し[1][2][3]、チチハルに位置した[2]。1938年(昭和13年)5月11日に同旅団を基幹に編成された混成第13旅団長となり[2]、徐州会戦に出撃して6月22日に帰還した[2]。ノモンハン事件勃発後は前線に出動したが停戦となった[2]。1939年(昭和14年)10月2日には陸軍中将に進級し[3]、関東軍独立守備隊を基幹に北京で編成された独立混成第3旅団長(第1軍)に着任[1][2]。北部山西省を拠点として五台作戦や治安作戦を指揮した[2]。1941年(昭和16年)3月1日に東部軍司令部附となり[1]、4月28日に待命[1][2]、4月30日に予備役に編入された[2]。
栄典
[編集]- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[6]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。