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吉永護

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉永護
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県
生年月日 (1973-11-16) 1973年11月16日(51歳)
身長 168cm
体重 50kg
血液型 A型
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
所属厩舎 美浦・元石孝昭(1992 - 2004)
美浦・河野通文(2004 - 2005)
美浦・フリー(2005 - 2008)
初免許年 1992年3月1日
免許区分 平地
騎手引退日 2008年12月31日
2008年12月28日(最終騎乗)
通算勝利 3838戦174勝
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吉永 護(よしなが まもる、1973年11月16日 - )は、茨城県出身の元騎手・現調教助手

父は元騎手で元調教師吉永正人、母は正人の最初の妻であり(1974年死去)、作家吉永みち子は継母にあたる。元騎手の吉永良人は叔父(正人の実弟)。

来歴

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小学校入学の頃から父の騎乗姿に憧れ、中学3年の時には騎手を目指す[1]1989年競馬学校騎手課程第8期生として入学し、同期には後藤浩輝上村洋行小林淳一高橋康之橋本美純横山義行菊沢隆仁がいる。1990年にはアイネスフウジンが逃げ切った第57回東京優駿を見学したが、競馬学校から電車で来ると、とにかく観客の数に驚かされた[2]。パドックではどの馬が格好いいなどファン目線での話をしながら、ダービーに乗る先輩騎手の一挙手一投足を見ていた[2]。レースはゴール前の厩舎関係者席で観戦し、ファンファーレと共に地鳴りのような歓声が響き、夢中で見ていたダービーはあっという間に終わった[2]。満員のスタンドから「ナカノコール」が沸きおこると、吉永ら8人は言葉を失い、ただ圧倒されていた[2]

1992年美浦・元石孝昭厩舎からデビューし、3月1日中山第2競走4歳未勝利・メローマインド(11頭中9着)で初騎乗を果たすと、同21日の中山第1競走4歳未勝利を父・正人の管理馬モールドゾーリンで逃げ切って初勝利を挙げ、翌22日の中山第12競走4歳以上900万下・メロンパワーで逃げ切って初の2日連続勝利をマーク。12月12日の中山第4競走3歳新馬を16頭中15番人気のコバノフラッシュで逃げ切り、翌13日の中山第12競走4歳以上900万下を13頭中10番人気の初勝利馬モールドゾーリンで勝ち、2日連続馬連万馬券で2度目の2日連続勝利を飾る。初年度から10勝を挙げ、2001年まで10年連続2桁勝利を記録。デビューしてすぐの頃に、吉永とほぼ同世代の他のスポーツ選手と共にセコム上信越ラジオCMに出演したが、そのCMは何年経っても作り直されず、数年経ってもそのCMの中では吉永の年齢は18歳のままであった。

2年目の1992年は初勝利から丁度1年が経った3月21日に日経賞・メロンパワーで重賞初騎乗を果たし、3コーナーまでライスシャワーシャコーグレイドアイルトンシンボリエイシンテネシーイクノディクタスカリブソングら実力馬を引き連れて逃げる見せ場を作ったが、4コーナーからは失速して11着に沈む。セイユウ記念ではヤマエーエンゼルに騎乗してシゲルホームランの3着に入った。

1996年には自己最多の21勝をマークし、1998年8月8日新潟第4競走4歳未勝利・アペックスプライドで通算100勝を達成[3]

重賞勝ちは無かったが、2000年には共同通信杯4歳ステークスでジーティーボスに騎乗。ラガーレグルスがゲートで膠着する波乱の展開で、ゴールでは3頭が並ぶ激戦[4]となり、イーグルカフェとアタマ差2着となる。七夕賞ではケイエムチェーサーで軽量49kgを活かして逃げ、ダイワテキサススエヒロコマンダーオースミブライトを封じて2着に粘る。2002年には4月から6月にかけてオーストラリアに遠征し[5]、最高成績は初騎乗の3着であった[6]。帰国後の2003年には東京新聞杯でカオリジョバンニに騎乗し、ローエングリンとクビ差3着であった。

2004年10月に師匠の元石が死去したため河野通文厩舎に移籍し、2005年1月21日からはフリーとなる。

2008年10月5日の札幌第4競走3歳未勝利を16頭中13番人気シャイニーカフェで勝ったのが最後の勝利となり、12月31日引退[7] [8] [9]同28日の中山第6競走3歳以上1000万下・イチライタッチ(15頭中10着)が最終騎乗であった[7]

引退後は小島太厩舎の調教助手[7][8] [9]となり、小島の定年後の2018年3月より和田勇介厩舎所属となる。

主な騎乗馬

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  • ジーティーボス(2000年共同通信杯4歳ステークス2着)
  • ケイエムチェーサー(2000年七夕賞2着)
  • コウセイカズコ(2006年ひまわり賞
  • アルコセニョーラ

出典

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関連項目

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