吉川貴久
獲得メダル | ||
---|---|---|
1960年ローマオリンピック射撃男子フリーピストルの表彰台に立つ吉川貴久(銅メダル)。金メダルはアレクセイ・グシチン、銀メダルはマフムド・ウマロフ(両者ともソビエト連邦代表)。 | ||
射撃 | ||
銅 | 1960 ローマ | 男子フリーピストル |
銅 | 1964 東京 | 男子フリーピストル |
吉川 貴久(よしかわ よしひさ、1936年9月4日[1] - 2019年10月12日[2])は、日本の射撃競技(ピストル種目)選手。福岡県警察所属の警察官。1960年ローマオリンピック・1964年東京オリンピックの男子フリーピストル銅メダリスト。日本にオリンピック射撃競技初のメダルをもたらし、2大会連続のメダリストとなった[3]。
オリンピックのほかアジア競技大会やISSF世界射撃選手権・アジア射撃選手権などの国際大会でも活躍、1966年アジア競技大会および1967年アジア射撃選手権大会で金メダルを獲得している。
経歴
[編集]福岡県出身[1]。福岡県立戸畑中央高等学校卒業[4]。
1960年ローマオリンピックに23歳で出場[5]。男子フリーピストル種目(以下、吉川の国際大会出場はすべて同種目)マフムド・ウマロフと同点(552点)で並び、シュートオフの末に銅メダル[5]。日本の射撃選手として初のオリンピックメダリストとなった[5]。
1964年東京オリンピックではヨハン・ガレーと同点(554点)で並び、10点圏の命中数差で勝った吉川が銅メダルを獲得した[5](1964年東京オリンピックの射撃競技参照)。2020年現在、オリンピックの射撃競技で複数のメダルを獲得しているのは吉川のみである[5]。
1966年アジア競技大会(バンコク)で金メダル[6]。1967年のアジア射撃選手権大会 (Asian Shooting Championships) (東京)で金メダル[6]。同大会では1971年のソウル大会でも銀メダルを獲得した[6]。
1968年メキシコシティーオリンピック、1972年ミュンヘンオリンピックにも出場。1976年モントリオールオリンピックでは日本代表射撃チームのライフル射撃監督を務めた[3]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c “Yoshihisa Yoshikawa”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月2日閲覧。
- ^ a b c d “東京五輪射撃銅メダリストの吉川貴久さん死去 83歳”. 朝日新聞. (2019年10月12日) 2021年5月2日閲覧。
- ^ a b c “東京五輪で銅、吉川貴久氏が死去(共同通信)”. ロイター通信. (2019年10月15日) 2021年5月2日閲覧。
- ^ 束原文郎 2013, p. 268.
- ^ a b c d e f “射撃吉川貴久が2大会連続銅メダル/日本の初メダル”. 日刊スポーツ. (2020年5月18日) 2021年5月2日閲覧。
- ^ a b c d e “Results”. ISSF. 2021年5月2日閲覧。
参考文献
[編集]- 束原文郎「1912年〜2008年夏季オリンピック日本代表選手団に関する資料:所属組織と最終学歴を中心に」『スポーツ科学研究』第10巻、早稲田大学スポーツ科学学術院、2013年、2021年5月1日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 吉川貴久 - 国際オリンピック委員会
- 吉川貴久 - オリンピックチャンネル
- 吉川貴久 - Olympedia
- 吉川貴久 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- 吉川貴久 - ISSF