出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉山 博吉(よしやま ひろきち、1911年(明治44年)12月1日 - 2007年(平成19年)5月2日)は、日本の実業家、第4代日立製作所社長・会長[1]、電気学会会長、環太平洋産業連関分析学会設立発起人等を歴任した[2]。
山口県萩市に生まれた。旧制第一高等学校から東京帝国大学工学部電気工学科に進み、1935年(昭和10年)大学卒業と同時に日立製作所に入社した。入社後は主として重電畑を歩み、1952年(昭和27年)電機事業部技術部長となり、1961年(昭和36年)11月取締役、1964年(昭和39年)11月常務、1968年(昭和43年)5月専務、1969年(昭和44年)11月副社長などを経て1971年(昭和46年)11月[3]社長に就任、1981年(昭和56年)6月に社長退任、会長に就任、1987年(昭和62年)6月に会長退任。1982年(昭和57年)4月に勲一等瑞宝章を受章した[4]。
また、1974年(昭和49年)5月から1975年(昭和50年)5月まで、第61代電気学会会長[5]を、1986年(昭和61年)から1987年(昭和62年)まで日本オペレーションズ・リサーチ学会会長を務めた[6]。
- 吉山博吉(ベネファクター)[7]
- 株式会社日立製作所の長期経営分析(1)~1960 年度から 1975 年度まで~(pdf形式), P7/16[8]
- 新潟県三面川発電所工事並びに機器概要[9]
- 最近の自動制御とその応用[10]
- 計測制御の発展と二,三の問題[11]
- 先代
- 鳳誠三郎
|
- 電気学会会長
- 第61代:1974年 - 1975年
|
- 次代
- 山村昌
|
- 先代
- 近藤次郎
|
- 日本オペレーションズ・リサーチ学会会長
- 第16代:1986年 - 1988年
|
- 次代
- 森村英典
|
- 先代
- 田口連三
|
- 日本機械工業連合会会長
- 第3代:1990年 - 1996年
|
- 次代
- 佐波正一
|