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吉原正隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉原正隆
よしはら まさたか
生年月日 1881年11月5日
出生地 日本の旗 日本 福岡県三潴郡大川町
(現・福岡県大川市
没年月日 (1926-06-24) 1926年6月24日(44歳没)
出身校 京都帝国大学法科大学経済科卒業
所属政党立憲政友会→)
研究会
称号 正五位
勲三等

在任期間 1925年9月29日 - 1926年6月24日

選挙区 (福岡県郡部選挙区→)
福岡県第13選挙区
当選回数 4回
在任期間 1912年 - 1924年1月31日
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吉原 正隆(よしはら まさたか、1881年明治14年)11月5日[1] - 1926年大正15年)6月24日[2][3][4][5])は、明治末から大正期の政治家衆議院議員立憲政友会)、貴族院多額納税者議員。位階は正五位[5]。勲等は勲三等[5]

経歴

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福岡県三潴郡大川町(現在の大川市)出身[2]1906年(明治39年)京都帝国大学法科大学経済科を卒業し、さらに大学院で植民政策学を専攻した[2][6]

1912年(明治45年)第11回衆議院議員総選挙に出馬し当選[2]第14回総選挙に至るまで4回連続当選を果たした[2]。その間、野田卯太郎逓信大臣秘書官を務めた[2][6]

1925年(大正14年)福岡県多額納税者として貴族院多額納税者議員に互選され、同年9月29日に就任し[7]研究会に所属し死去するまで在任した[3][8]

脚注

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  1. ^ 『人事興信録 第5版』
  2. ^ a b c d e f 『衆議院議員略歴』494頁。
  3. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』228頁。
  4. ^ 『官報』第4152号、大正15年6月26日。
  5. ^ a b c 帝国議会貴族院事務局報告 第52至53囘』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ a b 『人事興信録 第6版』
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、35頁。
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、36頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。 
  • 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。 
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。