台湾外記
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『台湾外記』(たいわんがいき、繁体字:臺灣外記、拼音:Tāi-wān wài jì)は、清朝初期、康煕帝の時代に書かれた、鄭氏一族の事蹟を記した書である。『台湾外紀(臺灣外紀)』、『台湾外誌(臺灣外誌)』ともされる[1]。
作者は江日昇で、史書と章回小説の間の体裁をとり、鄭芝龍、鄭成功、鄭経、鄭克塽一族の発展の事蹟を記している。鄭氏一族の資料はきわめて少なく、本書は小説でありながらも、内容は江日昇の父から情報もあり、資料がない空白部分を埋めており、学術上も重要な資料とされる。
江日昇の父江美鰲は南明の将軍で、最初は鄭彩指揮下にあり、後に鄭成功の指揮下に加わった。鄭彩の命令で唐王朱聿鍵を福建まで送り、朱聿鍵はこの地で明(南明)の皇帝を称した(隆武帝)。三藩の乱の時、鄭経が広東省恵州を攻撃した後、江美鰲は連平知州に任じられたが、その後に清朝に投降している。江日昇は幼少から父が鄭氏一族について話すのを聞いており、後に「閩人が閩の事蹟を話す、国史を編修する者に採択させなければならない」として、本書を著している[2]。
本書の記事に書かれている内容は、明の天啓元年(1621年)、鄭芝龍が泉州から澳門に移るところから、清の康煕22年(1683年)、鄭克塽が清に降伏するまでの63年の事蹟である。その内容は、鄭芝龍の活躍に始まり、隆武帝の朝廷を助けること、鄭成功の家族、清朝への抵抗、和平と最後の投降にまで及んでいる。
葉石濤は、明の鄭氏に触れる伝記文献の中で、『台湾外記』は首尾一貫しており、すこぶる価値のあるものだ、と評価している[3]。
書目章巻
[編集]- 自序
- 卷一、江夏侯驚夢保山 顏思齊敗謀日本
- 卷二、蔡善繼出海招安 盧毓英陸鵝被獲
- 卷三、往舊鎮芝龍就撫 戰赤湖劉香殞命
- 卷四、登煤山明祚攸終 定燕都我朝一統
- 卷五、唐監國福州假號 黃道周南京盡節
- 卷六、肇慶府桂王僭位 曾厝鞍施郎逃生
- 卷七、困漳州金礪解圍 逃舟山魯王入海
- 卷八、國軒合謀歸鄭藩 甘煇用火破仙游
- 卷九、獻海澄黃梧歸誠 護國嶺格商被斬
- 卷十、成功敗積於江南 甘煇死節於崇明
- 卷十一、何斌獻策取臺灣 黃梧密疏遷五省
- 卷十二、入緬甸桂王受辱 閱祖訓成功歸天
- 卷十三、周金斌金廈大戰 陳永華東寧建國
- 卷十四、施提督兩疏進剿 王巡撫遺疏開界
- 卷十五、明尚書入閩議撫 范總督抵任上琉
- 卷十六、下漳州啟泰死難 通海上三藩俱舉
- 卷十七、黃芳度畏迫詐降 耿精忠見敗修好
- 卷十八、授南邦之信遇敵 破清漳吳淑獻城
- 卷十九、平福省范公死節 戰龍江許耀逃竄
- 卷二十、敗七府國泰執法 入潮州進忠歸正
- 卷二十一、劉國軒大鬧江東 段應舉被困海澄
- 卷二十二、國軒率眾圍泉城 啟聖具題復遷界
- 卷二十三、盛天福克𡒉監國 坂尾寨吳淑喪身
- 卷二十四、劉國軒單騎救主 陳永華墮計辭權
- 卷二十五、錫範為婿試克𡒉 啟聖保題請施琅
- 卷二十六、施提督連疏議勛 姚即院遣使再撫
- 卷二十七、克塽信讒斂百姓 藍理負傷攻澎湖
- 卷二十八、江勝邱煇雙盡節 國軒良驥遁臺灣
- 卷二十九、武平伯力勸納款 寧靜王一門殉烈
- 卷三十、施將軍議留臺灣 大清國四海太平
脚注
[編集]参考資料
[編集]- 江日昇、『台湾外記』10巻、台湾文献叢刊、1960年
- 江日昇撰、劉文泰 等點校、『臺灣外誌』、齊魯書社、2004年、ISBN 7-5333-1342-9
- 奈良修一『鄭成功―南海を支配した一族』(世界史リブレット人 42) 山川出版社、2016年; ISBN 978-4634350427、ISBN 4-634-35042-4