台北市立建国高級中学
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(台北市立建国中学から転送)
台北市立建国高級中学 Taipei Municipal Jianguo High School | |
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概要 | |
通称 | CKHS、建中、建国中学校、 |
住所 |
台北市中正区龍光里1鄰南海路56号 北緯25度1分50.8秒 東経121度30分44.3秒 / 北緯25.030778度 東経121.512306度 |
分類 | 市立 高級中学 |
構成 | 高中部 |
設立年 | 1898年 |
校訓 | 勤、樸、誠、勇 |
外部リンク | 公式サイト |
職員・生徒 | |
校長 | 莊智鈞 |
教師数 | 216人 |
生徒数 | 2985人 (2021年) |
中国語表記 | |
繁体字 | 臺北市立建國高級中學 |
台北市立建国高級中学(たいぺいしりつ けんこくこうきゅうちゅうがく、英: Taipei Municipal Chien Kuo Senior High School)略して建国高校は、台湾台北市にある全日制の公立高級中学(日本の高等学校に相当)である。
男子校であり、1898年に創立された台湾最古の公立高校である[1]。 設計は近藤十郞[2]。 戦前の日本時代までは、「台北一中」の略称と共に、台湾の筆頭中学校として知られていた。 現代までノーベル賞受賞者、チューリング賞受賞者、中華民国総統、各県市知事が輩出し、自由な学風を持ち、最難関のエリート男子校として台湾に知られている。
台湾全国一斉高校入学試験(國民中學學生基本學力測驗)の実施以来、全科目の得点がPR値99(日本の偏差値71)、すなわち全国にて上位1%以内の成績の男子しか入学できないため、台湾大学への入学者数も全国トップにある。
一方、課外スポーツの面でも、戦前日本時代の第17回・第23回の全国中等学校蹴球大会(現在の全国高等学校ラグビーフットボール大会)優勝校、野球の甲子園大会5回出場(第9回、第15回、第16回、第24回、第26回)して知られている。
沿革
[編集]年 | 月日 | 事跡 |
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1898年 | - | 国語学校第四附属学校増設尋常中等科として開校 |
1916年 | - | 台北中学校と改称 |
1920年 | - | 台北州立台北第一中学校と改称 |
1945年 | - | 台湾省立台北建国中学と改称 |
1967年 | - | 台北市立建国高級中学と改称 |
組織
[編集]日本の石川県立金沢泉丘高等学校、愛媛県立松山南高等学校、山形県立鶴岡南高等学校と姉妹校。
歴代校長
[編集]区分 | 代 | 氏名 | 期間 | 備考 |
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日本統治時代 | 第一代 | 町田則文 | 1898年 - 1902年 | |
第二代 | 田中敬一 | 1902年 - 1907年 | ||
第三代 | 本庄太一郎 | 1907年 - 1908年 | ||
第四代 | 本庄太一郎 | 1908年 - 1911年 | ||
第五代 | 広江万次郎 | 1911年5月25日[3] - 1912年5月28日 | 総督府中学校長事務取扱 | |
第六代 | 土屋員安 | 1912年5月28日 - 1916年3月20日 | ||
第七代 | 松村伝 | 1916年3月20日 - 1925年 | ||
第八代 | 浜武元次 | 1925年 - 1931年 | ||
第九代 | 十倉精一 | 1931年 - 1934年 | ||
第十代 | 高橋隆 | 1934年 - 1938年 | ||
第十一代 | 渡辺節治 | 1938年 - 1942年 | ||
第十二代 | 森長整 | 1942年 - 1944年 | ||
第十三代 | 志波俊夫 | 1944年 - 1945年 | ||
中華民国時代(現代) | 第一任 | 張耀堂 | 1945年 - 1946年 | |
第二任 | 陳文彬 | 1946年 - 1947年 | ||
第三任 | 孫嘉時 | 1947年 - 1948年 | ||
第四任 | 梁恵溥 | 1948年 - 1949年 | ||
第五任 | 賀翊新 | 1949年 - 1955年 | ||
第六任 | 凌孝芬 | 1955年 - 1957年 | ||
第七任 | 賀翊新 | 1957年 - 1967年 | ||
第八任 | 崔徳礼 | 1967年 - 1972年 | ||
(代理) | 王蕪先 | 1972年 - 1973年 | ||
第九任 | 黄建斌 | 1973年 - 1986年 | ||
第十任 | 李大祥 | 1986年 - 1989年 | ||
第十一任 | 劉玉春 | 1989年 - 1996年 | ||
第十二任 | 李錫津 | 1996年 - 1999年 | ||
第十三任 | 呉武雄 | 1999年 - 2008年 | ||
第十四任 | 蔡炳坤 | 2008年 - 2010年 | ポジション変更
→台中市副知事 | |
(代理) | 徐建国 | 2010年 - 2011年 | 教務主任からの代理 | |
第十五任 | 陳偉泓 | 2011年 - 2015年 | 退職 | |
第十六任 | 徐建国 | 2015年 - 2022年 | 私立衛理女子高級中学校長に就任 | |
第十七任 | 莊智鈞 | 2022年 - 今 | 台北市立大同高級中学から転校 |
著名な出身者
[編集]- 戦前(国語学校附属中学時代)
- 戦前(台北一中時代)
- 戦後
- サミュエル・ティン(丁肇中)
- アンドリュー・チーチー・ヤオ(姚期智)
- 朱立倫
- 頼清徳
- 鄭文燦
- 林佳龍
- 黄偉哲
- 黄国昌
- 蔣万安
- 盧彦勳
- 辰亦儒(飛輪海)
- 方奎棠(方Q) (宇宙人)
- 林忠諭(小玉) (宇宙人)
- 陳奎言(阿奎) (宇宙人)
- 陳時中
- 王必勝
- 羅一鈞
脚注
[編集]- ^ http://web.ck.tp.edu.tw/web2007en/history.php
- ^ 1904年東京帝国大学工学部建築学科卒業、台湾総督府土木局営繕課に勤める。西門紅楼、台湾大学医学院付属医院、台北市立建国高級中学、台北市立建成国民中学などを設計。(藤森照信・汪担監修『全調査東アジア近代の都市と建築』筑摩書房、1996年ISBN 978-4480860422・参照)
- ^ 『官報』第8388号、明治44年6月9日。
参考文献
[編集]- 『官報』