古荘本店
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種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒860-8608 熊本県熊本市中央区古川町13 |
設立 | 1877年 |
法人番号 | 4330001004137 |
代表者 | 代表取締役社長 古荘貴敏 |
資本金 | 2,300万円 |
売上高 | 約71億円 |
純利益 |
1600万円 (2023年2月期)[1] |
総資産 |
35億0700万円 (2023年2月期)[1] |
従業員数 | 約330人(パート・アルバイト含む) |
関係する人物 | 古荘健次郎 |
外部リンク | http://www.furushohonten.co.jp/ |
株式会社古荘本店(ふるしょうほんてん)は、熊本県熊本市に本社を置く、繊維製品の総合卸会社である。
概要
[編集]繊維製品を事業の中核とする地方商社である。繊維総合卸事業、アパレル製品の製造・販売事業、アパレルショップ事業、富士フイルムビジネスソリューション製品の販売を中心としたIT事業、東芝エレベータ製品の販売を中心としたファシリティ事業、ドコモ事業を九州を中心に展開している。関係会社として大分のトキハ百貨店がある。創業は明治にさかのぼる。
沿革
[編集]- 1877年(明治10年)- 古荘健二(初名:健次郎)[2]により創業。
- 1926年(大正15年)- 古荘健次郎(初名:清七)[2]が2代目社長に就任。
- 1941年(昭和16年)- 創業者古荘健二が84歳で死去。
- 1948年(昭和23年)- 古荘健次郎57歳で没す。古荘健次郎の妻である古荘ハマが第3代社長に就任。
- 1951年(昭和26年)- ちゝぶや呉服店と共同出資により鶴屋百貨店設立。
- 1953年(昭和28年)- 古荘ハマの実弟である金澤大四郎[注釈 1]が第4代社長に就任。
- 1985年(昭和60年)- 古荘善啓[注釈 2]が第5代社長に就任[3]。
- 1992年(平成4年)- 福岡店オープン。
- 1993年(平成5年)- 直営アパレルショップ1号店出店。
- 1994年(平成6年)
- ドコモショップオープン。
- 古荘善啓がトキハ会長に就任。
- 2003年(平成15年)- 富士ゼロックス販売特約店として富士ゼロックス機器販売開始。
- 2004年(平成16年)- 福岡流通センター内にビルを購入、福岡支店を移転拡充[4]。
- 2005年(平成17年)- 東芝ビジネスパートナーとして東芝エレベータ及び東芝空調・照明販売開始。
- 2016年(平成28年)- 「熊本地震」にて、本社および物流倉庫が被災。
- 2017年(平成29年)
営業拠点
[編集]直営店
[編集]- natura(ナトゥーラ)(レディースファッション)- 8店舗
- STEP(ステップ)(子供服)- 2店舗
- BREEZEE(ブリーズ)(子供服)- 2店舗
- apres les cours(アプレクール)(子供服)- 2店舗
- nable(ネイブル)(トータルファッション)- 6店舗
- キナッセ(トータルファッション)- 3店舗
- ドコモショップ(NTTdocomo)- 4店舗
関連会社
[編集]- 株式会社トキハ(トキハ百貨店)
- 熊本日産自動車株式会社
- 古荘土地有限会社
- 富士フイルムビジネスイノベーションジャパン熊本支社
古荘財閥
[編集]古荘本店は第二次世界大戦以前には、東京、京都から海外まで進出した地方財閥だった。最盛期の傘下企業として、青島の和順染色工廠、マニラのフィリピン金貨メリヤス、大阪市の金貨メリヤス、大分のトキハ、鹿児島の明治屋、八代の代陽百貨店、熊本の銀丁百貨店、古荘土地、古荘航空工業、熊本国産自動車、肥後無尽、九州産交、古荘被服工業所がある。また小倉の井筒屋、熊本の千徳百貨店、東京の白木屋、京都の丸物、名古屋の三星百貨店、興国人絹パルプ、九州配電、日清生命保険、肥後銀行の経営に参画した。全盛期には1万人を超える従業員を擁したが、終戦後の混乱と古荘健次郎の早逝によりグループは解体し[6][7][8]古荘家に残されたのは、古荘本店とトキハ百貨店など数社のみとなった。
古荘財閥の歴史
[編集]- 1877年(明治10年)- 古荘健二(初名:健次郎)[2]により創業。西南戦争で荒廃した熊本で、京都から古着を仕入れて販売し巨万の富を得る。
- 1916年(大正5年)- 大阪市の「金貨メリヤス」を買収[2]。
- 1926年(大正15年)- 古荘健次郎(初名:清七)[2]が2代目社長に就任。
- 1933年(昭和8年)
- 1934年(昭和9年)- 「古荘土地」を設立[9]。
- 1936年(昭和11年)
- 1937年(昭和12年)- 大分の「トキハ百貨店」を買収[9]。
- 1941年(昭和16年)
- 創業者古荘健二が84歳で死去。
- 小倉の「井筒屋百貨店」を買収[9]。
- 1942年(昭和17年)- 「古荘航空機」、「三陽航空機」を設立[9]し、軍需分野に進出する。
- 1945年(昭和20年)- 敗戦によりフィリピンなどの海外資産を失う[10]。
- 1948年(昭和23年)- 古荘健次郎57歳で没す。古荘健次郎の妻である古荘ハマが第3代社長に就任。相続税により資産の多くを手放し「古荘財閥」は解体した[10]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 株式会社古荘本店 第75期決算公告
- ^ a b c d e f g 菊地浩之『47都道府県別 日本の地方財閥 (平凡社新書)』2014年、p.240
- ^ a b Leaders 2016 熊本のトップ群像(くまもと経済)2020年8月11日閲覧。
- ^ 古荘本店 取締役に古荘貴敏社長室長(くまもと経済)2020年8月23日閲覧。
- ^ 第60期有価証券報告書(熊本ホテルキャッスル)2020年8月11日閲覧。
- ^ 古荘財閥とその後の熊本(熊本県中小企業家同友会)2020年8月17日閲覧。
- ^ 古荘本店の歴史(古荘本店)2020年8月17日閲覧。
- ^ 地域密着商社【古荘本店】(幸せになる、お仕事探し。熊本で見っけ!【熊本市公式】)2020年8月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 菊地浩之『47都道府県別 日本の地方財閥 (平凡社新書)』2014年、p.241
- ^ a b 菊地浩之『47都道府県別 日本の地方財閥 (平凡社新書)』2014年、p.242