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古荘健次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
古荘健次郎

2代 古荘 健次郎(古莊、ふるしょう けんじろう、1890年明治23年)2月28日[1] - 1948年昭和23年)2月6日[1][2])は、大正から昭和前期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。幼名・清七[3][4]

略歴

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熊本県熊本市古川町[1](現:熊本市中央区古川町)で、繊維問屋・初代古荘健次郎の二男として生まれる[3][4]。1909年(明治42年)熊本県立商業学校(現熊本県立熊本商業高等学校)を卒業した[1][2][4]。1926年(大正15年)家督を相続し2代健次郎を襲名した[3][4]

1917年(大正6年)金貨メリヤス(大阪市淀川区)を買収し[1]、1918年(大正7年)5月、金貨莫大小 (株) を設立して社長に就任[3]。1933年(昭和8年)12月、持ち株会社・古荘合資会社を設立して代表社員となる[1][3]。1934年(昭和9年)2月、所有不動産管理などのため古荘土地 (株) を設立し社長に就任[3]。その他、肥後無尽社長、大阿蘇観光鉄道取締役、日清生命保険取締役、肥後銀行取締役、白木屋取締役、井筒屋百貨店監査役、熊本商工会議所顧問、熊本県商工経済会会頭などを務め[2][4]、最盛期の関連企業従業員は1万人を超えるまでになった[1]。また九州産業交通の創設にも参画した[1]

1939年(昭和14年)貴族院多額納税者議員選挙で互選され、同年9月29日に就任し[5]研究会に属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。この間、1943年(昭和18年)2月、大政翼賛会熊本県支部常務委員に就任し、熊本県食糧営団評議員なども務めた[4]。その後、公職追放となった[6]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『熊本県大百科事典』718-719頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』219頁。
  3. ^ a b c d e f 『財界二千五百人集』365-366頁。
  4. ^ a b c d e f 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』熊本17頁。
  5. ^ 『官報』第3823号、昭和14年9月30日。
  6. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、73-74頁。公職追放の該当事項は「国防機械化協会中央本部理事南九州支部長」。

参考文献

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  • 『財界二千五百人集』財界二千五百人集編纂部、1934年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。
  • 熊本日日新聞編纂『熊本県大百科事典』熊本日日新聞、1982年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。

関連項目

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