古田重剛
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古田 重剛(ふるた しげかた、文化5年8月16日(1808年10月5日) - 明治20年(1887年))は、江戸時代の武士、国学者、茶人。
豊後岡藩士、400石。通称は右馬允。古田本家・古田重功(岡藩士・森田善典次男)の庶子。古田重名(宗関)の義父[1]。
天保7年(1836年)12月に家督相続し、藩主中川久教の御近習物頭となる。その後、中川久昭に仕える。明治2年(1869年)に、名を藤衛と改め、10月に新藩知事中川久成より中川姓を賜り250石加増される。
重剛は、義祖父古田広計と父重功より国学、和歌、織部流茶の湯を学んだ。和歌が『大江戸倭歌集』(中)、『蔦廼舎歌集』などに収録されている。
脚注
[編集]- ^ 「豊後古田家譜」
参考文献
[編集]- 高階惟昌『国学人物志 初篇』世壽堂、1859年
- 末宗廣編『茶人系譜』河原書店、1977年