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古橋城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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古橋城
大阪府
城郭構造 平城
築城年 不明
主な城主 畠山秋高三好義継
廃城年 不明
遺構 なし
位置 北緯34度44分33.8秒 東経135度35分50秒 / 北緯34.742722度 東経135.59722度 / 34.742722; 135.59722座標: 北緯34度44分33.8秒 東経135度35分50秒 / 北緯34.742722度 東経135.59722度 / 34.742722; 135.59722
地図
古橋城の位置(大阪府内)
古橋城
古橋城
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古橋城(ふるはしじょう)は、河内国茨田郡門真(門真荘、現在の大阪府門真市[1])にあった[2]日本の城(平城)。

概要

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古橋は門真荘の地名で[1][注釈 1]、古橋城が所在した場所は平安時代から室町時代にかけてこの地にあった大寺院・普賢寺の跡地[3]門真市立第一中学校敷地内[3]、門真市幸福町[4])、もしくはその境内の一角に建立された願得寺(門真市御堂町)近くから古川にかけての地域と推測されている[5]。願得寺は本願寺八世蓮如が建てた道場「古橋御坊」が元となる寺だが[6]、後者の場合、その願得寺を占拠して城に利用した可能性がある[5]

元亀元年(1570年)7月、織田信長により畿内を追われていた三好三人衆阿波から上陸し、摂津中島・天満森(大阪市北区)に陣を張って、野田福島(大阪市福島区)に砦を築いていた[7]。翌8月17日[2]、三好三人衆は織田方の畠山秋高三好義継が兵を置いていた古橋城を攻めた[2][7]。『細川両家記』には、畠山秋高は高屋城から150人ほど、三好義継は若江城から150人ほど、合わせて300人ばかりを古橋城に入れていたとあり[8]、『尋憲記』には400人ほどが籠城していたと記される[9]。この戦いで古橋城は落城し[7]、織田方の戦死者は218人(『細川両家記』)とも[8]、226人(『尋憲記』)とも[9]、300人ほど(『言継卿記』『多聞院日記』)ともいわれる[10][11]

この後時期は不明だが、織田方が古橋城を攻め、奪い返した(「二見密蔵院軍功覚書」)[12]

逸話

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元亀元年(1570年)の古橋城の戦いの際、織田方にはキリシタン結城弥平次がいた[13]。弥平次は三好三人衆勢の攻撃で命を落としかけたが、イエズスの金文字に金色の十字架の付いた兜を被る弥平次の姿を見た敵方のキリシタン・三木判大夫(パウロ三木の父)により救われる[13]。後に所領を失った判大夫は、弥平次に助けられたという[13]

脚注

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注釈

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  1. ^ 天正10年(1582年)10月の羽柴秀吉の禁制(「願得寺文書」)に「河州十七ケ所門真庄内古橋町」とある[1]

出典

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  1. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 27 大阪府』角川書店、1983年、310–311頁。全国書誌番号:83052043 
  2. ^ a b c 門真町史編纂委員会 1962, p. 44.
  3. ^ a b 門真町史編纂委員会 1962, pp. 29, 44.
  4. ^ 門真市立第一中学校”. 門真市. 2011年11月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月21日閲覧。
  5. ^ a b 鳥羽正雄ほか 編『日本城郭全集9』大類伸 監修、人物往来社、145–146頁。全国書誌番号:53001974 
  6. ^ 門真町史編纂委員会 1962, pp. 35–37.
  7. ^ a b c 谷口克広『信長の天下布武への道』吉川弘文館〈戦争の日本史13〉、2006年、93–94頁。ISBN 978-4-642-06323-4 
  8. ^ a b 塙保己一 編『群書類従 第拾参輯経済雑誌社、1894年、646頁。全国書誌番号:20474265https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879780/328 
  9. ^ a b 藤井寺市史編さん委員会 編『藤井寺市史 第四巻 史料編二下』藤井寺市、1985年、627頁。全国書誌番号:85046569 
  10. ^ 英俊多聞院日記 第二巻』三教書院、1935年、204頁。全国書誌番号:50007652https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920644/107 
  11. ^ 山科言継言継卿記 第四国書刊行会、1915年、439頁。全国書誌番号:43014297https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/945798/224 
  12. ^ 五條市史調査委員会 編『五條市史 上巻』五條市史刊行会、1958年、415–416、918頁。全国書誌番号:63009462 
  13. ^ a b c 松田毅一『近世初期日本関係南蛮史料の研究』風間書房、1967年、685–688、706–708頁。全国書誌番号:67001027 

参考文献

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