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古川隆久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

古川 隆久(ふるかわ たかひさ、1962年6月22日[1] - )は、日本歴史学者日本大学文理学部教授。専門は日本近現代史。

経歴

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東京都出身。東京都立西高等学校[2]。1986年(昭和61年)に東京大学文学部国史学科を卒業する。1992年(平成4年)に東京大学大学院人文科学研究科博士課程を修了、「総合国策機関の研究」で博士(文学)横浜市立大学国際文化学部(のち国際総合科学部)講師、助教授を経て、2006年(平成18年)より日本大学文理学部教授となる。

大学・大学院では伊藤隆に師事。伊藤の「日本ファシズム」概念否定論を受け継ぎ、「日本ファシズム」論は学説として「論理的に破綻」し、「有効性がないことは明白」であり、それ自体を深めることは「無意味」であると主張した[3]昭和戦前・戦中期における日本の政治体制は、ホアン・リンスのいう「権威主義体制」であったと指摘している[4]

『戦時下の日本映画』で、尾崎秀樹記念大衆文学研究賞を受賞する。

『大正天皇』(2007年)において、従来病弱で公務を行なう能力が乏しかったと評価されてきた大正天皇に関する戦後初の評伝で、なおかつ大正天皇を健康な名君として再評価した原武史の研究(『大正天皇』朝日新聞社、2000年)に対して、2002年(平成14年)に一部公開された『大正天皇実録』をはじめとする諸史料から大正天皇の生涯を検討し、なおかつ原の大正天皇像に関しては再反論を加え、大正天皇評価論争の一方の当事者となった。

『昭和天皇』(2011年)では、昭和天皇の戦争責任について検討し、「昭和天皇の戦争責任とは、消極的な心境からではあっても太平洋戦争の開戦を決断して、結果的に内外に莫大な犠牲を出してしまったこと、そして、太平洋戦争開戦にいたる過程で、事態の悪化を食い止められなかったことである」[5]と結論した。同著でサントリー学芸賞を受賞した。

著書

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単著

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編纂史料ほか

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編者代表、他は茶谷誠一・冨永望・瀬畑源河西秀哉・舟橋正真、協力NHK

脚注

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  1. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.341
  2. ^ 『週刊朝日』高校別東大入学者一覧、1982年
  3. ^ 鳥海靖松尾正人小風秀雅編『日本近現代史研究事典』(東京堂出版, 1999年)270頁
  4. ^ 『昭和戦中期の議会と行政』(吉川弘文館, 2005年)を参照。
  5. ^ 『昭和天皇』中公新書。392頁
  6. ^ 戦後史事典 - 副題は上巻「復興と挑戦」、中巻「経済繁栄と国際化」、下巻「崩壊する経済大国」

外部リンク

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