古城胤秀
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古城 胤秀 | |
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生誕 |
1882年8月15日 日本 鹿児島県 |
死没 | 1938年11月10日(56歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1904年 - 1935年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
古城 胤秀(こじょう たねひで[1]、1882年(明治15年)8月15日[2] - 1938年(昭和13年)11月10日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]1882年(明治15年)に鹿児島県で生まれた[2]。陸軍士官学校第15期卒業[2]。1928年(昭和3年)5月18日に支那駐屯軍司令部附となり[1]、8月10日に陸軍歩兵大佐に進級した[1]。1929年(昭和4年)8月に近衛師団司令部附となり[1]、中央大学に配属された[1]。1930年(昭和5年)8月に陸軍省新聞班長に就任した[1]。班長就任後の新聞班では三月事件の概要を発表する意向だったとされるが[3]、内務省の強い働きかけにより発表は中止されたという[3]。1932年(昭和7年)8月に近衛歩兵第1連隊長に転じた[1]。
1933年(昭和8年)3月18日に第16師団司令部附となり[2]、陸軍少将に進級[1]。1935年(昭和10年)3月15日に待命[2]、3月30日に予備役に編入された[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 藤井非三四 著『都道府県別に見た陸軍軍人列伝―西日本編』光人社、2007年。ISBN 476981349X。