古事記伝
『古事記伝』 (こじきでん) | ||
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著者 | 本居宣長 | |
発行日 | 1790年(寛政2年)~1822年(文政5年) | |
ジャンル | 注釈書 | |
国 | 日本 | |
言語 | 日本語 | |
形態 | 和装本 | |
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『古事記伝』(こじきでん、ふることふみのつたえ)は、『古事記』全編にわたる全44巻の註釈書である。江戸時代の国学者・本居宣長によって書かれた。『記伝』と略される。題字は宣長を召抱えた紀州藩10代藩主徳川治寶から下賜されたものである[1]。
沿革
[編集]1764年(明和元年)に起稿し1798年(寛政10年)に脱稿し、1790年(寛政2年)から宣長没後の1822年(文政5年)にかけて版本として刊行された[3]。
医学の修行のために上洛していた宣長は、1756年(宝暦6年)、27歳の時に店頭で『先代旧事本紀』と『古事記』を購入した。この頃、宣長は『日本書紀』を読んでおり、賀茂真淵の『冠辞考』に出会って日本の古道を学び始める[4]。宣長が本格的に『古事記』研究に進むことを決意したのは、1763年(宝暦13年)に[注 1]、私淑する真淵と「松坂の一夜」で初めて直接教えを受けた頃である[6]。その翌年、1764年(宝暦14年)から『古事記伝』を起筆し、その間に『玉勝間』や『うひ山ぶみ』などの執筆も挟んで1798年(寛政10年)まで35年かけて成立した[7]。
内容
[編集]『古事記伝』は、『古事記』の当時の写本を相互に校合し、諸写本の異同を厳密に校訂した上で本文を構築する文献学的手法により執筆されている[2]。さらに古語の訓を附し、その後に詳細な註釈を加えるという構成になっている[注 2]。『記伝』全44巻のうち、巻1は「直毘霊」(ナホビノミタマ)を含む総論となっており、巻2では序文の注釈や神統譜、巻3から巻44までは本文の註釈に分かれている[2]。
宣長の『古事記伝』は、近世における古事記研究の頂点をなし、近代的な意味での実証主義的かつ文献学的な研究として評価されている[2]。宣長は『古事記』の註釈をする中で古代人の生き方や考え方の中に連綿と流れる一貫した精神性、即ち「道」の存在に気付き、この「道」を指し示すことにより日本の神代を尊ぶ国学として確立させた[要出典]。
宣長研究の第一人者である村岡典嗣は次のように述べている。
古道とは何ぞ。そは天地万国を通じてただ一すぢなるまことの道で、我が国にのみ正しく伝はつて、外国には既に、その伝来を失つてゐる。道といふといへども、そは、人間が究理作為の結果になつた道理道徳の類でなく、ただこれ、我が国の古典に伝へられた、神代の事実である。万国に勝った御国にのみ伝はつた古への言伝へ、これやがて古道の根拠である。而してこは、古事記、日本紀のニ書、殊に古事記に正しく伝はつた。日本紀に比して、古事記の重んずべき理は、そが古語の純粋を以て、「言ひ伝へ」をさながらに記して居るからである。而して、彼がかく考へたのは、已に、注意した如く、一方に彼が語学上言霊説の之を荷へるものがあつたので、即ち、彼がさる難者の「言ひ伝へ」の信ずべからざるを言つたのに答へた文に、言ひ伝へと文字伝へと各特質があつて、必ずしも言ひ伝へが、文字伝へに比して誤多い理由はない。殊に、「文字なき世は、文字なき世の心なる故に、「言ひ伝へとても、文字ある世の言ひ伝へとは大いに異にして、浮きたることさらになし。」となし、殊に「皇国は言霊の助くる国、言霊の幸はふ国と、古語にもいひて、実に言語の妙なること、万国に勝れたるをや。」といひ、更に進んで、「抑(そもそも)、意と事と言とは、皆相称へる物にして、上つ代は意も事も言も上つ代」となした思想に由来してゐるのである。(而してまた一つには、この點からして、古語を明らめて古伝説を説き明らむることによりて、やがて古道の研究に入るといふ、彼の学問の結論は生じたのである。) — 村岡典嗣、『本居宣長』第二編「宣長学の研究」第4章「古道説」[8]
なお『古事記伝』を離れて単独に道を説いたものは「直毘霊」「葛花」「玉くしげ」「秘本たまくしげ」「伊勢ニ宮ささ竹の弁」等がある[9]。
受容
[編集]宣長が『古事記』を称揚した影響により、それまでは正史である『日本書紀』と比して冷遇されていた『古事記』に対する評価は一変し、神典として祭り上げられるようになった[要出典]。宣長は『古事記』の本文に記述された伝承を「全て真実であった」と信じ、「やまとごころ」を重視して儒教的な「からごころ」を退けるという態度を貫いた[10]。
なお『古事記』本文の定本の一つとして現在でも参考に用いられている『訂正古訓古事記』は、宣長の死後、1803年(享和3年)に弟子の長瀬真幸が『古事記伝』の本文と訓のみを一部訂正して出版したテキストである[11][12]。
言語研究への影響
[編集]国語学史上の定説となっている上代特殊仮名遣も「宣長によって発見された」と評価されている[13]。第1巻の「仮字の事」で宣長は、同音の中でも言葉に応じて当てる仮字が使い分けられていることを指摘した[注 3]。この宣長の着想は、後に石塚龍麿が『仮名遣奥山路』において、「エ・キ・ケ・コ・ソ・ト・ヌ・ヒ・ヘ・ミ・メ・ヨ・ロ・チ・モ」の15種に使い分けがあるとした[15]。
その後、近代において橋本進吉が記述の価値を再発見した[注 4]。当初はなかなか受け入れられなかったが、次第に広く認められるようになり、動詞などの活用や語源などの語学面のみならず、例えば『万葉集』などの歌の解釈にも大きな影響を与えることになった[18]。
文学・歴史研究への影響
[編集]『古事記伝』は21世紀にあっても「『古事記』を読む時の基本書」としての地位を保ち続けている[19]。実際、今日の『古事記』註釈書は、基本的には宣長の採用した読み、解釈にその後の研究による訂正を加えたものが主流となっている[要出典]。
一方で、そうした宣長流の註釈・解釈には、様々な批判がなされている。宣長と同時代においても、例えば富士谷御杖は『古事記灯』で、『古事記』を正典とする点に賛同しながらも、宣長の日本神話についての解釈を「不合理である」とした[20]。また、没後の門人である平田篤胤は、『古史成文』から『古史伝』に至る過程で、宣長が『古事記伝』で放棄した語釈を徹底的に拾い集め、宣長の原典尊重の意向を無視して私意を交えた大胆な解釈を施した[21]。橘守部は『稜威道別』および『難古事記伝』において、『日本書紀』を尊重する立場を明示しながら、史実的なものと語り伝えられてきた事柄は違うことを主張した[22]。いずれも『古事記伝』における文献学的注釈方法に対する攻撃である[23]。
邪馬台国論争に関しては、卑弥呼女酋説・九州耶馬台国説を提唱したことから、新井白石とともにその後の耶馬台国論争の火種とされる[要出典]。
翻刻
[編集]- 大野晋・大久保正 編集校訂『本居宣長全集』筑摩書房
- 第9巻 - 「古事記伝」1(一之巻~十一之巻)1989年5月。ISBN 4-480-74009-0
- 第10巻 - 「古事記伝」2(十二之巻〜二十二之巻)1989年6月。ISBN 4-480-74010-4
- 第11巻 - 「古事記伝」3(二十三之巻〜三十三之巻)1989年7月。ISBN 4-480-74011-2
- 第12巻 - 「古事記伝」4(三十四之巻~四十四之巻)1989年8月。ISBN 4-480-74012-0
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 本居宣長記念館 (2001), p. 29(千葉真也「古事記伝首巻」)
- ^ a b c d 本居宣長記念館 (2001), pp. 28–29(千葉真也「古事記伝」)
- ^ 本居宣長記念館 (2015), p. 48.
- ^ 田中康二 (2014), p. 66.
- ^ 城福勇 (1988), p. 91.
- ^ 城福勇 (1988), pp. 85–86.
- ^ 本居宣長記念館 (2015), p. 50.
- ^ 村岡典嗣 (1911), p. 302[1]
- ^ 本居宣長記念館 (2001), pp. 215–216(山下久夫「古道」)
- ^ 田中康二 (2005), p. 219(初出:田中康二 2004)
- ^ 小野田光雄 (1957a).
- ^ 小野田光雄 (1957b).
- ^ 矢田勉 (2016), p. 54.
- ^ 安田尚道 (2023), p. 186(初出:安田尚道 2008)
- ^ 安田尚道 (2023), p. 277(初出:安田尚道 2016)
- ^ 安田尚道 (2023), pp. 43–65(初出:安田尚道 2003)
- ^ 安田尚道 (2023), pp. 77–95(初出:安田尚道 2004)
- ^ 肥爪周二 (2016), pp. 120–121.
- ^ 田中康二 (2015), p. 6.
- ^ 田中康二 (2015), pp. 36–45(初出:田中康二 2013)
- ^ 田中康二 (2015), pp. 45–52(初出:田中康二 2013)
- ^ 田中康二 (2015), pp. 53–62(初出:田中康二 2013)
- ^ 田中康二 (2015), p. 71(初出:田中康二 2013)
参考文献
[編集]- 図書
- 村岡典嗣『本居宣長』警醒社書店、1911年2月。
- 水谷静夫『国語学五つの発見再発見』東京女子大学学会〈東京女子大学学会研究叢書6〉、1974年8月。
- 城福勇『本居宣長』(新装版)吉川弘文館〈人物叢書〉、1988年3月。ISBN 4642051104。
- 田中康二『本居宣長の思考法』ぺりかん社、2005年12月。ISBN 4831511277。
- 田中康二『国学史再考:のぞきからくり本居宣長』新典社〈新典社選書〉、2012年1月。ISBN 9784787967978。
- 田中康二『本居宣長:文学と思想の巨人』中央公論新社〈中公新書〉、2014年7月。ISBN 9784121022769。
- 田中康二『本居宣長の国文学』ぺりかん社、2015年12月。ISBN 9784831514257。
- 田中康二『真淵と宣長:「松坂の一夜」の史実と真実』中央公論新社〈中公叢書〉、2017年2月。ISBN 9784120049484。
- 安田尚道『上代日本語研究史の再検討』武蔵野書院、2023年5月。ISBN 9784838607792。
- 雑誌
- 小野田光雄「訂正古訓古事記考:訓法について」『藝林』第8巻第2号、1957年4月、89-121頁。
- 小野田光雄「訂正古訓古事記考:本文について」『國學院雜誌』第58巻第4号、1957年8月、12-32頁。
- 田中康二「「漢意」の成立と展開」『文化學年報』第23号、神戸大学大学院文化学研究科、2004年2月、1-28頁。
- 田中康二「『古事記伝』受容史」『神戸大学文学部紀要』第40号、2013年3月、1-35頁。
- 安田尚道「石塚龍麿と橋本進吉:上代特殊仮名遣の研究史を再検討する」『國語學』第54巻第2号、2003年4月、1-14頁。
- 安田尚道「橋本進吉は何を発見しどう呼んだのか:上代特殊仮名遣の研究史を再検討する」『國語と國文學』第81巻第3号、2004年3月、1-15頁。
- 安田尚道「『古事記伝』の「仮字の事」をどう読むか:上代特殊仮名遣の研究史を再検討する」『日本語の研究』第4巻第4号、日本語学会、2008年10月、1-15頁。
- 安田尚道「石塚龍麿」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、64-67頁。
- 矢田勉「本居宣長」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、52-55頁。
- 肥爪周二「橋本進吉」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、120-123頁。
- 辞書類
- 本居宣長記念館 編『本居宣長事典』東京堂出版、2001年12月。ISBN 4490105711。
- 佐藤武義、前田富祺 編『日本語大事典(上巻・下巻)』朝倉書店、2014年11月。ISBN 9784254510348。
- 図録
- 鈴屋遺蹟保存会本居宣長記念館 編『宣長の版本』本居宣長記念館、2015年1月。
- 鈴屋遺蹟保存会本居宣長記念館 編『本居宣長の不思議』(令和版)本居宣長記念館、2022年6月。
関連文献
[編集]- 神野志隆光『本居宣長『古事記伝』を読む』1、講談社〈講談社選書メチエ461〉、2010年3月。ISBN 9784062584616
- 神野志隆光『本居宣長『古事記伝』を読む』2、講談社〈講談社選書メチエ497〉、2011年5月。ISBN 9784062584982
- 神野志隆光『本居宣長『古事記伝』を読む』3、講談社〈講談社選書メチエ525〉、2012年3月。ISBN 9784062585286
- 神野志隆光『本居宣長『古事記伝』を読む』4、講談社〈講談社選書メチエ582〉、2014年9月。ISBN 9784062585859
- 裵寛紋『宣長はどのような日本を想像したか:『古事記伝』の「皇国」』笠間書院、2017年6月。ISBN 9784305708342
外部リンク
[編集]- 古事記伝 44巻 - 国立国会図書館
- 古事記伝. 第1 - 日本名著刊行会(1930年)、国立国会図書館
- 『古事記伝』への道
- 古事記伝の画像(国会図書館)