原田敬治
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原田 敬治(はらだ けいじ、1891年(明治24年)10月6日[1] - 1962年(昭和37年)[2])は、昭和時代前期の政治家。神奈川県平塚市長。神奈川県多額納税者[3]。
経歴
[編集]原田勝右衛門の長男として平塚に生まれる[1]。慶應義塾普通部卒業後、家業を継ぐ[1]。1938年(昭和13年)10月21日、平塚市長に就任した[3]。ほか、相模瓦斯常務取締役、平塚江陽銀行取締役[3]、大政翼賛会県支部協力会議員、同市支部長などを歴任した[1]。戦後、公職追放となった[4]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 帝国秘密探偵社 1943, 神奈川103頁.
- ^ “資料詳細”. 神奈川県立公文書館. 2022年1月18日閲覧。
- ^ a b c 帝国自治協会 1938, 97頁.
- ^ 総理庁官房監査課 1949, 90頁.
参考文献
[編集]- 帝国自治協会『全国市長銘鑑 : 自治制実施五十周年記念』帝国自治協会、1938年 。
- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年 。
- 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年 。