厚母元員
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
改名 | 毛利元員→厚母元員 |
別名 | 通称:左衛門尉 |
戒名 | 未休 |
官位 | 治部少輔、治部大輔、下総守 |
主君 | 毛利輝元 |
氏族 | 鷲頭氏→大江姓毛利氏→厚母氏 |
父母 | 養父:毛利元種(厚母元種) |
兄弟 | 鷲頭因幡守、元員 |
妻 | 正室:毛利元種(厚母元種)の娘 |
子 | 元総、女(原田氏の娘) |
厚母 元員(あつも もとかず)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利氏の家臣。父は毛利元種(厚母元種)。安芸国の戦国大名・毛利元就の同族。
生涯
[編集]鷲頭因幡守の弟として生まれ、毛利氏家臣である毛利元種(厚母元種)の娘と婚姻し、その婿養子となる。
永禄12年(1569年)の北九州攻めの際に養父・元種と共に豊前松山城の在番を務め、同年閏5月18日に輝元から在番の労をねぎらう書状を送られている。
天正14年(1586年)4月6日、養父・元種の譲状の旨に従って、輝元より嫡男・元総と連名で長門国豊西郡厚母郷[1]100石の内の70石、長門国美祢郡於福郷上田代村[2]10石、厚母郷内の国衙の諸名田中の名主職などを安堵される。さらに、天正16年(1588年)7月2日には長門国美祢郡於福郷田代の内に99石余りの地を与えられた。
没年は不明。嫡男の元総が後を継いだ。