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南郷三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

南郷 三郎(なんごう さぶろう、1878年10月30日[1] - 1975年10月2日[2])は、日本実業家

来歴

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兵庫県(現・神戸市)に生まれる[3]。父は元加賀藩士の南郷茂光[4]、兄に講道館2代館長の南郷次郎、弟に画家の九里四郎がいる。

1900年、高等商業学校(現・一橋大学)を卒業[4]。高商在学中は柔道部を創設するなどスポーツ面でも活動した[3]。卒業同年に日本綿花(現・双日)に入社。1932年に日本綿花社長に就任する。その後、尼崎土地をはじめ複数の企業で社長を歴任した[4]。団体役員としては、日中輸出入協会理事長、日本貿易振興会会長、貿易統制会長、財団法人日本貿易振興協会副会長などを務めた。

1918年にアキレス腱断裂の怪我を負い、そのリハビリとしてゴルフを始める[3]。1924年に日本ゴルフ協会(JGA)が設立された際に代表メンバーの一人となり、初代チェアマンも務めたほか、関西ゴルフ協会の創設にも関与した。

1960年に藍綬褒章[1]、1964年に勲二等瑞宝章を受章[5]。死後、従三位勲一等瑞宝章を贈られた[6]

脚注

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  1. ^ a b 『人事興信録 第24版 下』人事興信所、1968年、な232頁。
  2. ^ 『昭和人物事典戦前期』580頁。
  3. ^ a b c 垂水ゴルフ倶楽部の歴史について - 垂水ゴルフ倶楽部(リンク先の南郷三郎の説明も参照)
  4. ^ a b c 尼崎土地 - Web版尼崎地域事典「apedia」(執筆・天野雅敏)
  5. ^ 『日本叙勲者名鑑 昭和39年4月~昭和53年4月 上』日本叙勲者協会、1978年、p.682。
  6. ^ 『経団連月報』第23巻第12号、経済団体連合会、1975年12月、p.37。
先代
喜多又蔵
日本綿花社長
1932年 - 1941年
次代
潮崎喜八郎