南部襄吉
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南部 襄吉 | |
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生誕 |
1888年2月1日 日本 東京府 |
死没 | 1975年3月28日(87歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1909年 - 1943年 1944年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
南部 襄吉(なんぶ じょうきち、1888年(明治22年)2月1日[1] - 1975年(昭和50年)3月28日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]。
経歴
[編集]1888年(明治22年)に東京府で生まれた[1]。陸軍士官学校第21期卒業[1]。1936年(昭和11年)3月28日に独立守備歩兵第15大隊長に就任し[2]、12月1日に陸軍歩兵大佐に進級し[2]、1937年(昭和12年)8月に陸軍予科士官学校生徒隊長に転じた[2]。1938年(昭和13年)7月に歩兵第20連隊長(第2軍・第16師団)に就任し[2]、武漢攻略戦に出動[1]。
1939年(昭和14年)8月1日に陸軍少将進級と同時に奉天陸軍予備士官学校長に着任[1][2]。1940年(昭和15年)12月に独立混成第12旅団長(第13軍)に転じ[1]、中国戦線に復帰[1]。揚州、高郵周辺の警備に任じ[1]、蘇北作戦、塩城作戦などに参加し[1]、李長江の指揮下にある5万の大軍を投降させる大戦果を上げた[1]。1943年(昭和18年)6月10日に陸軍中将に進級と同時に西部軍司令部附となり[1][2]、7月4日に予備役に編入された[1]。1944年(昭和19年)7月18日に召集され、前橋陸軍予備士官学校長に就任した[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。