南河原 (行田市)
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南河原(みなみかわら)は、埼玉県行田市の大字。郵便番号は361-0084。
地理
[編集]埼玉県の北東部に位置する[1]。
歴史
[編集]南河原は古くは太田庄忍領に属し、その名は北河原に対するもので、寿永の頃には河原太郎高直が領した[2]。
1977年に刊行された『部落』によると、部落問題について全解連の吉野という男性は「南河原村は750戸のうち3分の1が部落である。村長も二代にわたり部落出身、スリッパ全国一の生産地である。村全体がこれによって生計は半分まかなっている」と語っている[3]。
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経済
[編集]産業としては、かつて生産量全国一の地位を築き上げたスリッパ生産[注 1]をはじめ紙加工、食品製造がある[1]。
地域
[編集]施設
[編集]- 教育
- 南河原幼稚園
- 行田市立南河原小学校
- 行田市立南河原中学校
- 宗教
- 経済
- 南河原商工会
- 福祉
- 老人福祉センター 南河原荘
- 人権
出身人物
[編集]- 今村高之助(篤農家[9]、南河原村長、北埼玉郡会議員)
- 今村延雄(南河原村長、同村農業委員会長)[10]
- 沢田仁三(スリッパ製造、南河原村長)
- 吉野都美男(スリッパ製造、南河原村長)
- 吉野一之助(履物表[11]、農業、南河原村長、埼玉県会議員[12])
名所・旧跡
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e “南河原とは”. 南河原商工会. 2024年7月6日閲覧。
- ^ 『埼玉県地名誌 名義の研究』433頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月6日閲覧。
- ^ 『部落 29(8)(356)』4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月6日閲覧。
- ^ 『埼玉年鑑 昭和58年版 本編』町村現勢・南河原村290頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月11日閲覧。
- ^ 『全国工場通覧 昭和45年版』832頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月7日閲覧。
- ^ 『埼玉史談 12(5)』274頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月6日閲覧。
- ^ “河原神社”. 行田市 (2022年1月20日). 2024年7月6日閲覧。
- ^ “南河原隣保館”. 行田市 (2022年1月20日). 2024年7月6日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑 第2冊 明治43年8月』埼玉県298頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月6日閲覧。
- ^ 『叙勲名鑑 昭和42年 秋季版』203頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月6日閲覧。
- ^ 『帝国信用録 第36版』埼玉県ヨ29頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月6日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第15版 下』ヨ12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月6日閲覧。
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑 第2冊 明治43年8月』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 帝国興信所『帝国信用録 第36版』帝国興信所、1943年。
- 埼玉郷土会編『埼玉史談 12(5)』埼玉郷土会、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
- 『叙勲名鑑 昭和42年 秋季版』叙勲名鑑刊行会、1968年。
- 通商産業省大臣官房調査統計部編『全国工場通覧 昭和45年版』日刊工業新聞社、1969年。
- 韮塚一三郎『埼玉県地名誌 名義の研究』北辰図書、1969年。
- 『部落 29(8)(356)』部落問題研究所出版部、1977年。
- 『埼玉年鑑 昭和58年版 本編』埼玉新聞社、1982年。