コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

南島原市立深江中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
南島原市立深江中学校
南島原市立深江中学校
地図北緯32度43分26秒 東経130度21分16秒 / 北緯32.723778度 東経130.354472度 / 32.723778; 130.354472座標: 北緯32度43分26秒 東経130度21分16秒 / 北緯32.723778度 東経130.354472度 / 32.723778; 130.354472
過去の名称 深江村立深江中学校
深江町立深江中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 南島原市
設立年月日 1947年(昭和22年)4月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード C142210001070 ウィキデータを編集
所在地 859-1504
長崎県南島原市深江町丁3179番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

南島原市立深江中学校(みなみしまばらしりつ ふかえちゅうがっこう)は、長崎県南島原市深江町丁に本校を置く公立中学校

概要

[編集]
歴史
1947年昭和22年)の学制改革の際に新制中学校として開校。2012年平成24年)に創立65周年を迎えた。
校章
校歌
1955年(昭和30年)に制定。作詞は宮崎康平、作曲は寺崎亮平による。歌詞は2番まであり、両番に校名の「深江」が登場する。
校区
南島原市深江地区全域。小学校区は南島原市立深江小学校南島原市立小林小学校南島原市立大野木場小学校[1]

沿革

[編集]
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 深江国民学校の初等科が改組され、「深江村立深江小学校」となる。
    • 深江国民学校の高等科は青年学校の普通科とともに改組され、新制中学校深江村立深江中学校」となる。
      • 校舎が完成するまでの間、深江小学校の西校舎7教室を借用。
  • 1948年(昭和23年)8月 - 第一校舎が完成。
  • 1950年(昭和25年)
    • 5月 - 第二校舎が完成。
    • 9月 - 電話が設置される。
  • 1951年(昭和26年)5月 - 第三校舎が完成。
  • 1954年(昭和29年)12月 - 水道が整備される。
  • 1955年(昭和30年)9月 - 校歌を制定。
  • 1956年(昭和31年)4月 - 校章を制定。
  • 1957年(昭和32年)3月 - 校訓を制定。
  • 1962年(昭和37年)
    • 1月 - 第四校舎が完成。
    • 5月3日 - 深江町の発足により、「深江町立深江中学校」に改称。
  • 1964年(昭和39年)3月 - 技術教室が完成。
  • 1965年(昭和40年)3月 - 鉄筋コンクリート造2階建て校舎が完成。
  • 1969年(昭和44年)3月 - 小中共用の体育館が完成。
  • 1991年(平成3年)
    • 6月 - 雲仙普賢岳の噴火。
    • 8月 - 深江小学校(本校および諏訪分校)・中学校が仮設校舎での授業を開始[2]
  • 1992年(平成4年)10月 - 仮設校舎での授業を終了し、校舎に復帰[2]
  • 2006年(平成18年)3月31日 - 南島原市の発足に伴い、「南島原市立深江中学校」(現校名)に改称。

交通

[編集]

最寄りのバス停は、島鉄バス加津佐・有家・島原駅線などの「宮ノ前」バス停である。

最寄りの国道として、国道251号(島原街道)が通過している。

なお、かつては最寄りの鉄道駅として島原鉄道線深江駅があったが、2008年(平成20年)3月末をもって廃止された。

周辺

[編集]
本校

参考資料

[編集]
  • 「深江町郷土誌」(1971年(昭和46年)10月1日発行, 深江町郷土誌編纂委員会)p.456 -
  • 「長崎新聞に見る長崎県戦後50年史(1945~1995)」(1995年(平成7年)8月9日発行, 長崎新聞社)「深江町」

脚注

[編集]
  1. ^ 小学校通学区域 - 南島原市教育委員会ウェブサイト
  2. ^ a b 「長崎県教育史(昭和51年-平成9年)」(1998年(平成10年)3月31日発行,長崎県教育委員会)p.887

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]