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南島原市立堂崎小学校

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南島原市立堂崎小学校
地図北緯32度40分25秒 東経130度20分11秒 / 北緯32.673556度 東経130.336361度 / 32.673556; 130.336361座標: 北緯32度40分25秒 東経130度20分11秒 / 北緯32.673556度 東経130.336361度 / 32.673556; 130.336361
過去の名称 堂崎学区初等堂崎小学校
簡易堂崎小学校
堂崎尋常小学校
堂崎尋常高等小学校
堂崎村国民学校
堂崎村立堂崎小学校
有家町立堂崎小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 南島原市
併合学校 石田小学校
浜小学校
設立年月日 1875年(明治8年)7月
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210001919 ウィキデータを編集
所在地 859-2122
長崎県南島原市有家町大苑720番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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南島原市立堂崎小学校(みなみしまばらしりつ どうざきしょうがっこう)は、長崎県南島原市有家町大苑(おおぞの)にある公立小学校

概要

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歴史
1875年明治8年)に堂崎村に開校した「石田小学校」と「浜小学校[1]」の2校が1883年(明治16年)に統合されて「堂崎小学校」となった。2015年平成27年)に創立140周年(統合132周年)を迎える。
学校教育目標
「敬の心をもち、自ら学び、たくましく生きる子どもの育成」
校章
校名の堂崎の頭文字「ど」を図案化したものを背景にして「小」の文字を置いている。
校歌
作詞は浦末彦による。作曲者は不詳。歌詞は2番まであり、各番に校名の「堂崎」が登場する。
校区
住所表記で南島原市有家町の後に「大苑、石田、原尾」が続く地域。中学校区は南島原市立有家中学校[2]

沿革

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  • 1875年(明治8年)7月 - 「第五大学区第二中学区[3] 石田小学校」・「第五大学区第二中学区 浜小学校[1]」の2校が開校。八郎木分校を開設。
  • 1876年(明治9年)2月 - 長崎県により設立が正式に認可される[4]
  • 1877年(明治10年)6月4日 - 学区改正[5]により、「第五大学区第二中学区[6] 石田小学校」・「第五大学区第二中学区 浜小学校」に改称。
  • 1878年(明治11年)12月24日 - 郡制の施行に伴い学区が改正され、「南高来郡隅田部[7] 石田小学校」・「南高来郡隅田部 浜小学校」となる。
  • 1883年(明治16年)7月 - 石田小学校と浜小学校の2校が統合され、「堂崎学区初等堂崎小学校」となる。石田名新切に分教室を開設。
  • 1884年(明治17年)7月 - 大苑名洲崎の吉田清治宅の一部を校舎として移転。
  • 1885年(明治18年)2月 - 六郎木に分教室を開設。
  • 1886年(明治19年)8月 - 小学校令の施行により、簡易科(修業年限3年)を設置の上「簡易堂崎小学校」として独立。石田分教室・六郎木分教室を廃止。
  • 1888年(明治21年)11月 - 古城に学校形態を整え、校舎を新築し移転を完了。
  • 1889年(明治22年)4月 - 町村制の実施により、堂崎村立の小学校となる。
  • 1893年(明治26年)7月 - 小学校令の改正により、「堂崎尋常小学校」と改称。
  • 1903年(明治36年)11月 - 木場(こば)分教場を開設。
  • 1908年(明治41年)4月 - 義務教育年限が4年から6年に延長されたことにより、尋常科5年を新設。
  • 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を新設。
  • 1912年(明治45年)4月 - 高等科(修業年限2年)を併設し、「堂崎尋常高等小学校」に改称(尋常科6年・高等科2年)。
  • 1921年大正10年)11月 - 現在地に校舎を新築して移転を完了。
  • 1939年(昭和4年)5月 - 高等科修了者を対象にした補習科(修業年限1年)を設置(尋常科6年・高等科2年・補習科1年)。
  • 1931年(昭和6年)3月 - 補習科を廃止。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行に伴い、「堂崎村国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 堂崎村国民学校の初等科が改組され、「堂崎村立堂崎小学校」となる。木場分教場を木場分校とする。
    • 堂崎村国民学校の高等科が改組され、新制中学校「堂崎村立堂崎中学校[8]」が発足。校舎が完成するまでの間、小学校に併設される。
  • 1948年(昭和23年)
    • この年 - 育友会が発足。
    • 2月11日 - 古城(旧・小学校校地)に堂崎中学校の校舎が完成。これにより併設を解消。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 堂崎村が有家町に統合されたことにより、「有家町立堂崎小学校」に改称。
  • 1965年(昭和40年)5月 - 校舎を改築。
旧・木場分校跡

交通アクセス

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最寄りのバス停
最寄りの県道
最寄りの鉄道駅

周辺

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  • 堂崎郵便局

参考資料

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  • 「有家町郷土誌」(1981年(昭和56年)3月31日発行, 有家町教育委員会)p.490 -
  • 「長崎新聞に見る長崎県戦後50年史(1945~1995)」(1995年(平成7年)8月9日発行, 長崎新聞社)「有家町」

脚注

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  1. ^ a b 表記は「波満小学校」とも(参考:長崎県教育史上巻p.544)。
  2. ^ 小学校通学区域 - 南島原市教育委員会ウェブサイト
  3. ^ 長崎区を第一中学区、旧大村藩を第二中学区、旧島原藩を第三中学区、旧平戸藩を第四中学区、旧福江藩を第五中学区とする。壱岐と対馬は第四中学区に属した。
  4. ^ 長崎県教育史上巻p.554
  5. ^ 長崎県教育史上巻p.441- - 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー
  6. ^ 長崎区を第一中学区、旧島原藩を第二中学区、旧大村藩を第三中学区、旧平戸藩を第四中学区、旧福江藩を第五中学区とする。壱岐と対馬は第四中学区に属した。
  7. ^ 第二中学区(南高来郡)は小浜部・隅田部・神代部・島原部の4部に分けられた。(参照:長崎県教育史上巻p.442 - 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)
  8. ^ 1948年(昭和23年)2月11日に古城に校舎が完成し、小学校との併設を解消。1956年(昭和31年)に「有家町立堂崎中学校」に改称した後、1970年(昭和45年)3月末に有家町立有家中学校に統合された。1961年(昭和46年)11月に統合校舎が完成するまでの間、旧堂崎中校舎は「有家中学校東校舎」として使用が継続された。

関連項目

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外部リンク

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