南家恭一
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南家 恭一(なんけ きょういち、1907年(明治40年)5月1日[1] - 没年不明)は、日本の実業家。南家商事社長[1][注 1]。
人物
[編集]鳥取県西伯郡外江村(現・境港市外江町)出身。鳥取県信用組合理事長[1][5]、境港市監査委員会委員[6]、境港商工会議所副会頭[1][7]、鳥取県中小企業団体中央会理事[8]などをつとめる。住所は境港市外江町[1]。
家族
[編集]父・南家清一について『商工資産信用録 第43回』には「調査年月・1941年5月、正身身代・U、信用程度・Cc、職業・副蚕糸」とある[9]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『商工信用録 西部版 昭和41年度版』によると、南家商事株式会社の開業設立は1950年(昭和25年)、主要業務は繭生糸の仲買である[2]。『全国繊維企業要覧 昭和45年版』によると、業種は被服縫製[3]。資本金は300万円[3]。取扱い品は被服縫製60%、生糸繭副産糸30%、化粧品その他10%[3]。役員は社長・南家恭一、取締役・南家正男、南家悦郎(のち社長)[4]、竹内一雄、老松憲一郎、監査役・柏木茂福[3]。沿革は南家恭一の実父清一が大正初期創業、1950年南家恭一が事業継承し、同年3月南家商事株式会社を設立、1961年9月縫製部門を新設、1962年8月化粧品部門を新設、米子市内に直営小売店を2店設置[3]。
出典
[編集]- ^ a b c d e 『大衆人事録 第二十三版 西日本編』な617頁。
- ^ 『商工信用録 西部版 昭和41年度版』山陰28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月11日閲覧。
- ^ a b c d e 『全国繊維企業要覧 昭和45年版』ナ2783頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月11日閲覧。
- ^ 『石垣 日本商工会議所のビジネス情報誌 13(8)(162)』48頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月11日閲覧。
- ^ 『信用組合18(5)』40頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月11日閲覧。
- ^ 『中国年鑑 昭和44年版』349頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月11日閲覧。
- ^ 『防長風土記』899頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月11日閲覧。
- ^ 『中小企業組合総覧 昭和44年版』590頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月11日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第43回』鳥取県15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月11日閲覧。
参考文献
[編集]- 商業興信所編『商工資産信用録 第43回』商業興信所、1941 - 1943年。
- 野村春畝『防長風土記』青雲社、1957年。
- 広瀬弘『大衆人事録 第二十三版 西日本編』帝国秘密探偵社、1963年。
- 東亜興信所編『商工信用録 西部版 昭和41年度版』東亜興信所。
- 中国新聞社編『中国年鑑 昭和44年版』中国新聞社、1968年。
- 信用交換所総合事業部編『全国繊維企業要覧 昭和45年版』信用交換所大阪本社等、1969年。
- 『中小企業組合総覧 昭和44年版』全国中小企業団体中央会、1969年。
- 『信用組合18(5)』全国信用組合中央協会、1971年。
- 日本商工会議所広報部 企画・編集『石垣 日本商工会議所のビジネス情報誌 13(8)(162)』日本商工会議所、1993年。