南吉井村
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みなみよしいむら 南吉井村 | |
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廃止日 | 1956年9月1日 |
廃止理由 |
新設合併 南吉井村・拝志村・北吉井村 → 重信町 |
現在の自治体 | 東温市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 愛媛県 |
郡 | 温泉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
5,198人 (1955年) |
隣接自治体 | 北吉井村・川内村・拝志村・荏原村・浮穴村・小野村 |
南吉井村役場 | |
所在地 | 愛媛県温泉郡南吉井村大字牛渕 |
座標 | 北緯33度47分28秒 東経132度52分20秒 / 北緯33.79103度 東経132.87231度座標: 北緯33度47分28秒 東経132度52分20秒 / 北緯33.79103度 東経132.87231度 |
ウィキプロジェクト |
南吉井村(みなみよしいむら)は、1956年(昭和31年)まで愛媛県の温泉郡にあった村であり、現在の東温市の中西部に位置する。
地理
[編集]現在の東温市の中西部。重信川中流の右岸で、同河川が南流し表川と合流し扇状地を形成する地点にあたる。重信川に沿っていくつかの泉が存在する。
- 地名の由来
- 古代から吉井郷という名が見られ、その南部に属することから南吉井村となった。現在でも南吉井小学校などの名にみられる。
歴史
[編集]藩政期
- 松山藩領
明治以降
- 1889年(明治22年) 12月15日 - 成立。当初は下浮穴郡に属した。
- 1897年(明治30年) 4月1日 - 温泉郡に所属。
- 1899年(明治32年) 10月4日 - 伊予鉄道横河原線開通。田窪駅(現在の牛渕駅)開業。
- 1907年(明治40年) 3月20日 - 田窪郵便局(現在の重信郵便局)設置。
- 1914年(大正 3年) 4月 - 小野・久米・石井・浮穴・南吉井五ヶ村入山組合設立[1]。
- 1927年(昭和 2年) - 南吉井尋常小学校の校舎一部焼失、村民が山林を売却し再建費用を捻出。
- 1938年(昭和13年) 9月4日 - 傷痍軍人愛媛療養所(現在の国立病院機構愛媛医療センター)建設に合わせ見奈良駅開業。
- 1943年(昭和18年) - 重信川氾濫、北野田で被害。
- 1945年(昭和20年) - 南吉井国民学校の校舎全焼。
- 1947年(昭和22年) - 小学校再建にともなう財政難により単独での中学設立を断念。北吉井村と共立で吉井中学校設置。
- 1948年(昭和23年) - 東温高校開校。
- 1956年(昭和31年) 9月1日 - 拝志村、北吉井村との合併により重信町となる。
南吉井村の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) 見奈良 ━━┓ 田窪 ━━┫ 牛渕 ━━╋━━━━━ 南吉井村 ━━━┓ (昭和31年9月1日合併) 南野田 ━━┫ ┃ 北野田 ━━┛ ┣━━ 重信町 ┃ 北吉井村 ━━━┫ ┃ 拝志村 ━━━┛ (注記)北吉井村、拝志村の旧村については、それぞれの村の記事を参照のこと
地域
[編集]見奈良(みなら)、田窪(たのくぼ)、牛渕(うしぶち)、北野田(きたのだ)、南野田(みなみのだ)の5つの大字があった。いずれも明治の村制発足前からの旧村であり、重信町になっても大字として存続した。
役場は大字牛渕においた。昭和30年人口5,198人。
行政
[編集]役場
はじめ大字牛渕の旧庄屋宅を代用した。1914年(大正3年)、御大典事業により牛渕に役場を建造した。重信町成立当初はこの役場が町役場としても活用された。
なお1964年(昭和39年)、重信町役場が大字見奈良に新設され、2000年(平成12年)に町役場は同じ見奈良内で移転、現在も東温市役所として機能している。
産業
[編集]重信川の氾濫原に位置するため新田の開発は遅れた。
交通
[編集]伊予鉄道横河原線が開通している。
名所・旧跡
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 椿南松田卯太郎 『新編温泉郡誌』 松山石版印刷所、1916年