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半音階的幻想曲とフーガ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

半音階的幻想曲とフーガ: Chromatische Fantasie und Fugeニ短調 BWV 903は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが作曲したクラヴィーア曲。バッハのクラヴィーア独奏作品のなかでもとくに人気のある作品のひとつである[1]

概要

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自筆譜は現存しておらず作曲時期は明確ではないが、ヴァイマル時代(-1717年)もしくはケーテン時代(1717年-1723年)に書かれ、1730年前後に改訂が加えられたものと考えられる[2][3]。新・旧のバッハ全集に、1720年頃の成立と推定される幻想曲の異稿がBWV 903aとして収録されている[3]。ヴォルフガング・ヴィーマー(Wolfgang Wiemer)は、1720年の妻マリア・バルバラ・バッハの死に際して書かれた「トンボー」と解釈しているが、確かな根拠はない[4][2]

新バッハ全集英語版では40以上の資料が挙げられている[5]ように、バッハの生前から評価されて[6]死後も影響力を保ち、すでに18世紀中にはウィーンフランスイタリアなど各地で知られていた作品であった[3]。息子のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハヴィルヘルム・フリーデマン・バッハによるファンタジア群、のちの「多感様式」との類似が指摘されることもある[7]

19世紀に入っても人気は続き、1819年出版の、ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの指示を記したと称する版をはじめ、カール・チェルニーハンス・フォン・ビューローなどが校訂版を発表している[8]。またルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン1810年に筆写をおこなっている[9]ほか、フェリックス・メンデルスゾーンジギスモント・タールベルクフランツ・リスト[10]ヨハネス・ブラームス[11]などが演奏した記録が残っている。ヨハン・ニコラウス・フォルケルは「唯一の存在で、これに類したものは他に一曲もない」と評し[1]、アルンフリート・エードラー(de:Arnfried Edler)は「非常に多種多様な構成上・表現上の諸要素が、これほどまでの説得力をもって一つにまとめあげられたことは」並ぶ例がないと述べている[6]

楽曲

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「幻想曲」と「フーガ」と題された2つの部分からなり、演奏時間は約12分[12]

ロマン的で即興的な[1]幻想曲は、属調へと向かっていく前半と、「レチタティーヴォ」と記され主調に戻っていく後半とに分けて理解することができる[13]。前半は様々なフィギュレーションで構成された華麗なトッカータ様式で進んでいく[12]

後半のレチタティーヴォでは、マルティン・ゲックドイツ語版が「見事にしつらえられた一種の和声の迷路」[6]と呼ぶように半音階的なきわめて激しい転調が繰り返される。フォルケルは、バッハが即興をおこなう際に「24すべての調」を自然に通過していったと記し、「転調におけるぎこちなさについて、彼は何一つ知らなかった。(...)彼のいわゆる半音階的幻想曲は、私がここで言っていることを証明してくれる」と述べている[14]。このレチタティーヴォ部分は、バッハがヴァイマル時代に編曲した(BWV 594アントニオ・ヴィヴァルディヴァイオリン協奏曲グロッソ・モグール」第2楽章との関連が指摘されている[15]

幻想曲冒頭

 \new Staff {\time 4/4 \key a \minor \set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "" 4=72 \relative c'
{r32 d( e f g a b cis) d( c bes a g f e d) cis( d e f g a bes e) r4 \noBreak
r16 a,32( b! cis d e f g f e d cis b a64 g f e) d32( e f a cis d f16) r4 }
}

フーガは半音階的な主題にもとづく三声のもので、フリードリヒ・ヴィルヘルム・マルプルクは著書『フーガ論』("Abhandlungen von der Fuge")のなかで、ジローラモ・フレスコバルディの「半音階的リチェルカーレ」("Recercar cromaticho post il Credo")と並べて取りあげている[16]

ゲックは「『フーガ・パテティコ(荘重フーガ)』として、《幻想曲》と調子を合わせる」と、また幻想曲と比較して「客観化への契機であり、幻想曲の苦悩に満ちた調子を弱める働きをする」[17]と述べるが、主題の扱いはかなり自由であり、技巧的で長い間奏部や、終盤の左手に現れるオクターヴ奏法のように表現的な書法も依然としてみられる[18]。幻想曲と同様に遠隔調への転調がおこなわれるものの、現れるのは短調に限られている[19]

フーガ冒頭

 \new Staff {\time 3/4 \key d \minor \set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "" 4=100 \relative c''
{a4 bes b c c8 b c4 e, f fis g g8 fis g a bes4 a g f g8 f e d e4 a, cis d8 d16 e f8 f16 g a8 a16 b}
}

編曲

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低音の補強などの演奏上の改変を楽譜に加えることは19世紀から多く例がある[10]が、フェルッチョ・ブゾーニ1902年におこなった現代ピアノのための改変は「編曲」としてBV B 13の整理番号が与えられており、またブゾーニはチェロとピアノのための編曲(BV B 38)も残している。他にはレオニード・クロイツァーによる現代ピアノのための改変(幻想曲のみ)[20]マックス・レーガーによるオルガンのための編曲、ラウル・ソーザ(Raoul Sosa)によるピアノの左手のみのための編曲、ゾルタン・コダーイによるヴィオラのための編曲(幻想曲のみ)などがある。

注釈

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  1. ^ a b c シューレンバーグ 2001, p. 211.
  2. ^ a b ゲック 2001, p. 45.
  3. ^ a b c Tomita, Yo (2000). J.S.Bach: Fantasias & Fugues (Media notes). Masaaki, Suzuki. BIS. pp. 4–5. BIS-CD-1037。
  4. ^ シューレンバーグ 2001, p. 218.
  5. ^ Schulenberg, David (2006). The Keyboard Music of J.S. Bach (Second ed.). Routledge. p. 147 
  6. ^ a b c ゲック 2001, p. 46.
  7. ^ シューレンバーグ 2001, p. 211-212.
  8. ^ シューレンバーグ 2001, p. 212.
  9. ^ ゲック 2001, p. 49.
  10. ^ a b Dirst, Matthew (2012). Engaging Bach: The Keyboard Legacy from Marpurg to Mendelssohn. Cambridge University Press. pp. 153-156 
  11. ^ Musgrave, Michael, ed (1999). The Cambridge companion to Brahms. Cambridge University Press. p. 39 
  12. ^ a b 礒山雅、鳴海史生、小林義武 (1996). バッハ事典. 東京書籍. p. 370 
  13. ^ シューレンバーグ 2001, p. 214.
  14. ^ ゲック 2001, p. 47.
  15. ^ シューレンバーグ 2001, pp. 215–216.
  16. ^ シューレンバーグ 2001, p. 213.
  17. ^ ゲック 2001, p. 52.
  18. ^ 門馬直美「半音階的幻想曲とフーガ」『作曲家別名曲解説ライブラリー12 バッハ』音楽之友社、1993。p. 307
  19. ^ シューレンバーグ 2001, p. 219.
  20. ^ 『芸術としてのピアノ演奏 : ピアノ奏法の新しい美学』(音楽之友社、1969年2月刊)の巻末に付録として収録。

参考文献

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  • デイヴィッド・シューレンバーグ (2001). バッハの鍵盤音楽. 佐藤望、木村佐千子 訳. 小学館 
  • マルティン・ゲック (2001). ヨハン・ゼバスティアン・バッハ. 3. 鳴海史生 訳. 東京書籍 
  • (score) Wolf, Uwe, ed (1999). Bach, Johann Sebastian: Chromatische Fantasie und Fuge d-Moll BWV 903. Bärenreiter 

外部リンク

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