半谷清寿
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半谷 清寿(清壽、はんがい せいじゅ、1858年12月31日(安政5年11月27日[1][2])- 1932年(昭和7年)2月18日[1][3])は、明治から昭和初期の実業家、農政家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]陸奥国行方郡小高郷大井村(現・南相馬市小高区大井)で相馬中村藩郷士・半谷常清の長男として生まれた[1][2][4]。福島師範学校を卒業後、小浜、二本松の小学校で教員として義務年限まで務めた[1][4]。
その後、帰郷して酒造業を経営し、1886年(明治19年)士族救済のための相馬織物社を設立[1][4]。1894年(明治27年)相馬精練を設立して小高の羽二重工業の振興に尽力した[4]。その他、磐城水電取締役を務めた[2][3]。
1893年(明治26年)の日本鉄道常磐線土地買収事件を契機に政治への関心を持ち[1]、1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙で福島県郡部から出馬して当選[3]。その後、第13回総選挙まで連続して当選し、衆議院議員を連続3期務めた[3][4]。東北地方の農業発展のため、小作制度の改正、地租の軽減、国有林の解放などを主張した[1][4]。
著作
[編集]- 『養蚕原論』進振堂、1888年。
- 『養蚕術』博聞社、1889年。
- 『官民調和策』忠愛社、1892年。
- 『天下の実業家諸君に告く』忠愛社、1892年。
- 『相馬事件実相論』九皐館、1893年。
- 『将来之東北』丸山舎書籍部、1906年。
- 『明治神宮東北に奉建の議』半谷清寿、1912年。
- 『農日本の新研究』平凡社、1929年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 福島民報社編『福島大百科事典』福島民報社、1980年。
- 『福島県史 第22巻 (各論編 8 人物)』福島県、1972年。
- 松沢忠雄編『福島誌上県人会』福島県友会出版部、1923年。
関連文献
[編集]- 柴田哲雄『フクシマ・抵抗者たちの近現代史:平田良衛・岩本忠夫・半谷清寿・鈴木安蔵』彩流社、2018年。