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千種良由

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
千種良由
時代 江戸時代
生誕 慶長11年(1606年
死没 明暦4年6月19日1658年7月19日
別名 宮内卿法眼
官位 宮内卿
幕府 江戸幕府
氏族 村上源氏久我流六条庶流千種氏
父母 父:千種顕理、母:笹治官兵衛女
尚堅賀茂兼友室、賀茂季典
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千種 良由(ちくさ ながよし)は、江戸時代武士南北朝時代に活動した千種忠顕の末裔[1]

概要

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父・千種顕理織田信雄豊臣秀吉豊臣秀頼に仕え、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で戦死している[1]

地下家伝』によると、時期は不明だが宮内卿法橋に叙任されており、明暦3年(1657年)7月3日(8月12日)には法眼となり、翌明暦4年(1658年)6月19日(7月19日)に死去したとされる[2]

良由の末裔は、良由-尚堅-尚宣-啓迪-啓道-啓般-啓遵-讓中と幕末まで続いている[2]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b 菰野町教育委員会編『菰野町史 上巻』(菰野町、1987年)
  2. ^ a b 国文学資料館「地下家伝・芳賀人名辞典データベース[1]