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十時一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
十時一郎
ととき いちろう
生年月日 1843年
没年月日 1904年12月24日
前職 額田県権参事
所属政党 立憲自由党
子女 次男・十時弥

選挙区 福岡5区
当選回数 1回
在任期間 1890年 - 1891年12月25日


福岡県の旗 初代 福岡県会副議長
在任期間 1879年3月 - 1880年10月

福岡県の旗 福岡県会議員
選挙区 山門郡選挙区
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十時 一郎(ととき いちろう、1843年天保14年11月[1])- 1904年明治37年)12月24日[1])は、幕末柳河藩士、明治期の日本の政治家衆議院議員

経歴

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元治元年(1864年長崎砲術練兵を学び、帰藩後、藩命により薩摩京都などを遊歴[1][2]。その後、藩校伝習館学監、物頭格、中老役兼千別丸船将などを歴任[1]戊辰戦争では小荷駄奉行兼参謀長として奥州の役に従軍[1][2][3]。明治2年(1869年)帰藩し参政に就任[1][2]。さらに権大参事、権参事を歴任[1]。明治4年11月1871年額田県権参事に発令されたが病を理由に辞した[1][2][3]

1879年、福岡県会議員に当選し、同副議長を務めた[1][2][3][4]。その他、山門郡長兼三池郡長、第九十六国立銀行取締役、同頭取[5]などを歴任[1]

九州同志会に加わり自由民権運動を進め[2]1890年7月、第1回衆議院議員総選挙に福岡県第五区から出馬して当選し、弥生倶楽部に所属[1]。衆議院議員を一期務めた[1]

また、旧藩主立花家の相談人、家政会議議員を務めた[6]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』420頁。
  2. ^ a b c d e f 『明治新立志編』220-221頁。
  3. ^ a b c 『日本帝国国会議員正伝』438-440頁。
  4. ^ 歴代副議長の一覧 - 福岡県議会公式ホームページ”. www.gikai.pref.fukuoka.lg.jp. 2022年8月27日閲覧。
  5. ^ 『明治期の旧藩主家と社会』174頁。
  6. ^ 『明治期の旧藩主家と社会』37、78-79頁。

参考文献

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  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 木戸照陽編『日本帝国国会議員正伝』田中宋栄堂、1890年。
  • 篠田正作編『明治新立志編』鍾美堂、1891年。
  • 内山一幸『明治期の旧藩主家と社会:華士族と地方の近代化』吉川弘文館、2015年。