北野鞠塢
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北野 鞠塢(きたの きくう、1762年(宝暦12年)- 1831年10月4日(天保2年8月29日))は、江戸時代後期の本草家[1][2]、文人である[2][3]。本姓は佐原[1][2]、名は秋芳[1]。幼名は平八[1]。菊塢とも表記される[3]。
経歴・人物
[編集]陸奥の仙台に生まれ[1][2]、天明の頃に江戸に出る[2]。その後は同地で中村座の芝居茶屋で働き[2]、後に日本橋の住吉町に骨董品店を開業しその経営に携わった[1][2]。また同時期に自身の名前を「北野宇兵衛」に改名し[2]、後に再度「菊屋宇兵衛」を経て剃髪したことにより「北野菊塢」等と名乗るようになる[2]。
1804年(文化元年)に所払いに処されたことによって[2]、寺島村(現在の東京都墨田区東向島)に所在する隅田川畔にて土地を購入し植物園である『百花園』の開業および経営に携わった[2][3]。開業の際には加藤千蔭や村田春海[1][2]、太田南畝[2]、亀田鵬斎[2]、大窪詩仏等作庭を趣味とする多くの文人と親交を持ち[2]、彼らと共にウメ等の木や草花を展示のために採集している[1][2]。また七草を研究した著書等を刊行した[1][2]。
主な著作物
[編集]主著
[編集]その他の著書
[編集]- 『秋野七草考』
- 『郡芳暦』
- 『墨水遊覧誌』