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北里貞之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

北里 貞之(きたざと さだゆき、1857年3月4日安政4年2月9日) - 1928年昭和3年)[1])は日本裁判官弁護士。元・大審院判事

略歴

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1857年(安政4年2月9日)、熊本藩士北里一格の長男として生まれる。東京法学校(現・法政大学)で学び、1887年明治20年)に判事検事登用試験に合格する。1890年(明治23年)に北里崎次郎の養子となる。

福島地方裁判所判事宮崎地方裁判所長、大分地方裁判所長、鹿児島地方裁判所長を経て、1919年大正8年)に大審院判事に就任する。正五位勲四等

脚注

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  1. ^ 『官報』第366号(1928年3月20日)に、同年3月18日に熊本県下で葬送が行われたとの記載がある。

参考

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  • 『人事興信録 第4版』(人事興信所)
  • 官報』(1919年7月14日)
  • 『法学志林 第21巻』(法政大学、1919)