北見米造
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北見 米造(きたみ よねぞう、1883年(明治16年) - 1964年(昭和44年)[1])は、日本の建築家、仏師、彫刻家、茶人。名前は米蔵とも書かれる[1]。茶名は宗国[2]。
経歴
[編集]大工の修行をして建築や木工技術について修得し、伝統の大工技術と近代的な設計施工技術を身につけたとされ、のちに高村光雲の弟子となる[2]。1904年(明治37年)、磯野敬[3]に腕を見込まれて21歳で棟梁として旧磯野家住宅の施工を担当した[1]。
戦後は社団法人茶道文化振興会の初代理事長[2]に就任し、1950年(昭和25年)、新宿区高田馬場に茶道会館を完成させた。
他にも松江市の明々庵、日本女子大学の静寧亭の移築を担当するなど、旧家の邸宅から地茶室、近代住宅まで幅広く手掛けた[2]。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 東京人 No.254 (発売日2008年04月03日) 特集:東京建築ガイドブック 都市出版