北条市
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(北条町 (愛媛県)から転送)
ほうじょうし 北条市 | |||||
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廃止日 | 2005年1月1日 | ||||
廃止理由 |
編入合併 北条市、中島町 → 松山市 | ||||
現在の自治体 | 松山市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 四国地方 | ||||
都道府県 | 愛媛県 | ||||
市町村コード | 38211-6 | ||||
面積 | 102.13km2. | ||||
総人口 |
28,826人 (2004年1月31日) | ||||
隣接自治体 | 松山市、越智郡玉川町・菊間町、温泉郡中島町(中島町は海上により隣接) | ||||
市の木 | 楠 | ||||
市の花 | 愛媛あやめ | ||||
北条市役所 | |||||
所在地 |
〒799-2492 愛媛県北条市辻6番地 | ||||
外部リンク | 北条市(Internet Archive) | ||||
座標 | 北緯33度58分35秒 東経132度46分40秒 / 北緯33.97633度 東経132.77778度座標: 北緯33度58分35秒 東経132度46分40秒 / 北緯33.97633度 東経132.77778度 | ||||
ウィキプロジェクト |
北条市(ほうじょうし)は、愛媛県中予地方にあった市。松山市の北に隣接し、瀬戸内海に面した田園都市であった。
2005年(平成17年)1月1日に温泉郡中島町とともに松山市へ編入され、地方自治体としての北条市は廃止された。
地理
[編集]位置・地形
[編集]四国の北に犬の頭のように突き出した高縄半島の西側に位置し、西は瀬戸内海に面している。ゆるやかな山地と海岸との間に平地が広がっているが、松山市(合併前)との間には丘陵地が横たわり、松山平野とは直接つながっていない。ゆるやかな山裾を利用したゴルフ場が愛媛県内には珍しくたくさんあり、松山方面からの客に利用されている。
市町村名の由来
[編集]- 宗昌寺の「寺領坪付文書」によると、律令制の時代に、条里制が当地に布かれた形跡がうかがわれ、「北条」の地名はこの条里制に由来するものといわれている。ただし、「西条」は西条市が該当するが「東条」「南条」と呼ばれる地名はこの地方にはない。
気候
[編集]温暖な瀬戸内海気候で、年間平均気温約16℃、年間降水量は約900mmと温暖少雨。積雪をみることはほとんどなく、台風の直撃も少ない。
歴史
[編集]年表
[編集]古代・中世
- 4世紀 - 国造本紀に「風早」の名が見られる。
- 宗昌寺の文書(上記)によると、この地に条里制が敷かれていた。
- 10世紀 - 古文書によると、加佐波夜(風早)が安波井(粟井)、加波乃(河野)、多加多(高田)、難波、那賀の5つの郷から成り立っていた。
- 平安時代末期から16世紀後半まで、水軍を率いた河野氏がこの地を治めていた
江戸期
明治期
- 町村制施行に伴い、北条村となる。
- 北条、辻、土手内、安居島の各地区が合併
- 1897年(明治30年)4月 - 風早郡が和気郡、久米郡とともに温泉郡に編入され、温泉郡北条村となる。
- 1898年(明治31年)11月 - 北条村が町制を施行して北条町となる。
大正期
- 1926年(大正15年)3月 - 讃予線今治 - 北条間開業(翌年松山まで開業)。
昭和期
- 1938年(昭和13年)10月 - 倉敷紡績北条工場操業開始[1]。
- 1943年(昭和18年)5月15日 - 北条鹿島沖合で関西汽船の旅客船「浦戸丸」(1326トン)が沈没。北条町青年会堂に救助者100余名が収容される[2]。
- 1947年(昭和22年)4月 - 愛媛県立松山農業学校開校(のちの愛媛県立北条高等学校)[3]。
- 1951年(昭和26年)4月 - 北条町、難波村、正岡村が合併して改めて北条町が発足する。
- 1955年(昭和30年)3月 - 北条町、浅海村、立岩村、河野村、粟井村が合併して改めて北条町が発足する。
- 1956年(昭和31年)5月 - 鹿島と安居島が瀬戸内海国立公園に指定される[4]。
市制施行以降
- 1958年(昭和33年)11月 - 北条町が市制施行して北条市が発足。愛媛県内で11番目の市[5]。
- 1960年(昭和35年)4月 - 上水道事業開始[5]。
- 1961年(昭和36年)6月 - 予讃本線柳原駅開業。
- 1962年(昭和37年)12月 - 国民宿舎鹿島オープン[6]。
- 1964年(昭和39年)4月 - 愛媛県立北条高等学校が開校[6]。
- 1965年(昭和40年)8月 - 国道196号松山-北条間の舗装完成[6]。
- 1966年(昭和41年)4月 - 聖カタリナ女子短期大学開学[6]。
- 1967年(昭和42年)2月 - 電話がダイヤル式に切り替わる[6]。
- 1968年(昭和43年)4月 - 鹿島レストハウス竣工[7]。
- 1969年(昭和44年)4月 - 北条市消防署発足[8]。
- 1973年(昭和48年)7月 - 北条市青少年スポーツセンター開設(下難波)[8]。
- 1975年(昭和50年)4月 - 公共下水道事業開始[8]。
- 1974年(昭和49年)6月 - 国道196号北条バイパスの路線決定[8]。
- 1977年(昭和52年)3月 - 人口3万人を回復[9]。
- 1980年(昭和55年)
- 1981年(昭和56年)11月 - 市木・市花制定[12]。
- 1982年(昭和57年)3月 - 浩宮徳仁親王(現天皇)が市内の善応寺を訪問[13]。
- 1983年(昭和58年)11月 - 市民憲章制定[13]。
- 1985年(昭和60年)3月 - 北条バイパス河原-中須賀間完成[14]。
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)
- 1989年(平成元年)7月 - 北条中央会館開館[16]。
- 1990年(平成JR予讃線電化(伊予北条駅-伊予市駅)[15]。 2年)11月 -
- 1991年(平成 3年)
- 1995年(平成[18]。 7年)4月 - 北条ふるさと館開館
- 1999年(平成11年)3月 - 松山北条バイパス久保-福角間開通[19]。
- 2002年(平成14年)4月 - 松山北条バイパス全線開通[20]。
- 2003年(平成15年)
- 3月 - 道の駅風早の郷風和里開駅。北条コミュニティセンター開館[21]。
- 6月 - 松山市・北条市合併協議会設置[22]。
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)1月1日 - 温泉郡中島町とともに松山市へ編入され、自治体としての北条市は廃止。
系譜
[編集]北条市の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) (昭和の合併) (平成の合併) 町村制施行時 北条 ━━━┓ 辻 ━━━┫ あ お 土手内 ━━━╋━━━北条村━━━━北条町━┳━━┳━━北条市 ━┓ 安居島 ━━━┛ ┃う ┃え ┃ 下難波 ━━━┓ ┃ ┃ ┃ 上難波 ━━━╋━━━難波村━━━━━━━━┫ ┃ ┃ 中通・庄━━━┛ ┃ ┃ ┃ 八反地 ━━━┓ ┃ ┃ ┃ 中西内 ━━━┫ ┃ ┃ ┃ 柴村 ━━━┫ ┃ ┃ ┃ 中西外 ━━━┫ ┃ ┃ ┃ 寺谷 ━━━╋━━━正岡村 ━━━━━━━┛ ┃ ┃ 院内 ━━━┫ ┃ ┃ 池田 ━━━┫ ┃ ┃ 神田 ━━━┛ ┃ ┃ 浅海本谷━━━┓ ┃ ┃ ┣━━━浅海村━━━━━━┳━━━━┫ ┃ 浅海原 ━━━┛ ┃ ┃ ┃ 小川 ━━━┓ い ┃ ┃ 磯河内 ━━━┫ ┃ ┃ 鴨之池 ━━━┫ ┃ ┃ 和田 ━━━┫ ┃ ┃ 河原 ━━━┫ ┃ ┃ 安岡 ━━━┫ ┃ ┃ 本谷 ━━━╋━━━粟井村━━━━━━━━━━━┫ ┃ 西谷 ━━━┫ ┃ ┃ 大西谷 ━━━┫ ┃ ┃ 客 ━━━┫ ┃ ┃ 麓 ━━━┫ ┃ ┃ 平林 ━━━┫ ┃ ┃ 小川谷 ━━━┫ ┃ ┃ 久保 ━━━┫ ┃ ┃ 鹿峰 ━━━┫ ┃ ┃ 苞木 ━━━┛ ┃ ┃ 才之原 ━━━┓ ┃ ┃ 滝本 ━━━┫ ┃ ┃ 猪木 ━━━┫ ┃ ┃ 猿川 ━━━┫ ┃ ┃ 中 ━━━┫ い ┃ ┃ 米之野 ━━━┫ ┃ ┃ ┃ 庄府 ━━━╋━━━立岩村━━━━━━┻━━━━┫ ┃ 儀式 ━━━┫ ┃ ┃ 小山田 ━━━┫ ┃ ┃ 猿川原 ━━━┫ ┃ ┃ 尾儀原 ━━━┫ ┃ ┃ 萩原 ━━━┛ ┃ ┃ 別府 ━━━┓ ┃ ┃ 宮内 ━━━┫ ┃ ┃ 善応寺 ━━━┫ ┃ ┃ 横谷 ━━━┫ ┃ ┃ 閏谷 ━━━┫ ┃ ┃ 九川 ━━━┫ ┃ ┃ 常保免 ━━━╋━━━河野村━━━━━━━━━━━┛ ┃ 佐古 ━━━┫ ┃ 高山 ━━━┫ ┃ 牛谷 ━━━┫ ┃ 大河内 ━━━┫ ┃ 中須賀 ━━━┫ ┃ 片山 ━━━┫ ┃ 夏目 ━━━┛ ┃ 中島町━━┫ 松山市━━┻━━松山市 か あ – 明治31年11月21日町制施行 い - 大正3年 立岩村萩原を浅海村に編入 う – 昭和26年4月1日合体 え – 昭和30年3月31日合体 お – 昭和33年11月1日市制施行 か – 平成17年1月1日温泉郡中島町とともに松山市に編入合併 (注記)中島町・松山市の合併以前の系譜はそれぞれの市・町の記事を参照のこと。
行政
[編集]歴代市長
[編集]- 初代 得能久吉(昭和33年11月 - 昭和34年4月、1期)
- 第2代 徳永好行(昭和34年4月 - 37年5月、1期)
- 第3代 原田改三(昭和37年6月 - 48年12月、3期)
- 第4代 川端杢一(昭和49年1月 - 53年10月、2期)
- 第5代 秋山正親(53年11月 - 59年9月、2期)
- 第6代 原田改三(59年11月 - 平成4年11月、2期、通算5期)
- 第7代 菅朝照(平成4年11月 - 平成12年1月13日[23]、2期)
- 第8代 井手順二(いで・じゅんじ、平成12年2月[24] - 平成16年12月31日、2期) 松山市・温泉郡中島町との合併により、最後の北条市長となった。
平成の市町村合併の経緯
[編集]- 北条市としては、都市圏が一体化している松山市との合併を掲げ進めた。国道196号や予讃線で結びつき、通勤・通学者も多く、自然な組み合わせであった。2002年には合併を問うアンケートで約6割が合併に賛成した。行政には合併は不可避との認識で「合併しなければ(将来)財政が破綻する」と説明してきたが、住民にはその認識はまだまだ稀薄であり、特に市行政に対しても一定の発言権を持つとされた区長制度が松山市では広報委員制度と大幅にその地位が低下すると予想されたことから、不安視する見方もあった。
- 温泉郡中島町と同時の編入合併となったが、これは松山市が編入合併を原則としていたためでもある。北条市の北部にある北条スポーツセンターと赤字続きの国民宿舎の扱いが松山市から提示された懸案事項であったが、国民宿舎は廃止、スポーツセンターは(合併後の)松山市の北部のスポーツの拠点として整備する方針を2003年5月に松山市に提示、任意協議会の設置に向けて手続きを進めることで合意した。
- 議員の定数では、北条市議会では在任特例を希望したが、協議の結果、定数特例を適用し、3名(北条市区分)の増員選挙を実施した。(同時に合併した温泉郡中島町分1名についても併せて実施)
経済
[編集]産業
[編集]主な産業
- 農業 かんきつ類、米作
- 繊維関係
- いぶし瓦製造
- 商業
- 海運業
- 当地付近の沿岸地域同様、海運業が若干存在。斎灘に面し、瀬戸内海の東西航路に接していることから、歴史的にも古くから海運業を営む者があった。ただし、専ら内航海運中心の中小規模のものがほとんどで、今治・波止浜等のように近海・外航船へは進出していない。
企業
[編集]- 雪雀酒造(酒造)
- 忽那醸造(醤油・味噌)
- 桜うづまき酒造(酒造)
- カネモ(いりこ・海産物)
- ヤマト(サンダル)
- 三浦工業(本社・松山市、ボイラ)
- 日東ライフテック(日東電工の子会社)
- 特産のいぶし瓦については北条地区いぶし瓦連合会が組織されている。
地域
[編集]松山市の衛星都市の一つである。大規模なものではないが、工業団地を構えると、三浦工業など、松山市から企業が進出してくるといった現象がみられる。[要出典]
ただ、秋祭りは神輿を神社の階段の上から投げ落としたり、また神輿を水路にまっさかさまに投げ入れるなど、独特の激しさがある。[要出典]
教育
[編集]大学・短期大学
[編集]- 聖カタリナ大学
- 聖カタリナ短期大学
高等学校
[編集]中学校
[編集]- 北条市立北条北中学校
- 北条市立北条南中学校
小学校
[編集]- 北条市立浅海小学校
- 北条市立難波小学校
- 北条市立立岩小学校
- 北条市立北条小学校
- 北条市立正岡小学校
- 北条市立河野小学校
- 北条市立粟井小学校
交通
[編集]松山市(合併前)と今治地域とを結ぶ幹線上に位置する。国道196号と鉄道(JR予讃線)がほぼ平行して走っている。
鉄道
[編集]道路
[編集]一般国道
[編集]県道
[編集]道の駅
[編集]船舶
[編集]バス交通
[編集]旧市街である北条と松山市街とを結ぶバス路線が、伊予鉄バスにより比較的頻繁に運行されている。平日は日中30分ヘッド、土日祝日は同毎時1本程度。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]名所・旧跡
[編集]- 主な神社
- 主な寺院
観光スポット
[編集]- 北条鹿島
- ゴルフ場
- 北条カントリー、奥道後ゴルフクラブ、サンセットヒルズカントリー、チサンカントリー
- 高縄山
- 北条スポーツセンター
- 波妻の鼻(はずまのはな)
- 海水浴場
- 浅海海水浴場、大浦海水浴場、長浜海水浴場、立岩海水浴場(地元では通称・モンチッチ海岸と呼ばれている)、鹿島海水浴場、新開海水浴場、粟井坂海水浴場
- マリンスポーツ施設 マリーナ(民間)等
- 温浴施設 シーパMAKOTO コスタ北条
祭事・イベント
[編集]- 大注連縄張替(おおしめなわはりかえ)
- 北条鹿島西沖の玉理・寒戸島(島というより「岩」)にて、縄の中に願い文を入れ、消防団員らの手により大しめ縄を作り、毎年1回張り替えられる。
- ぼて茶(花まつり)
- 例年5月5 - 7日、蓮生寺にて、飢饉の時代に質素・倹約の中から生まれた伝統料理「ぼて茶」のふるまいがある。
- 風早の火事まつり(かざはやのひのことまつり)
- 鹿の角切り
- 例年10月上旬に鹿島にて、発情期を迎える雄鹿がお互いの角で傷つけ合わないように切り落とす。
- 秋祭り
出身・ゆかりのある人物
[編集]- 名誉市民
- 岡本馬太郎 - 河野村長、衆議院議員。
- 得能久吉 - 初代北条市長。
- 堀本宜実 - 獣医師、立岩村長、北条町長。
- 松田喜三郎 - 実業家、粟井村長、北条町長、衆議院議員。
- 門田圭三 - 南海放送社長。
- 渡部喜十郎 - 日本弁護士連合会会長。
- 早坂暁 - 小説家・脚本家。
- 原田改三 - 教育者、浅海村長、北条市長。
- その他
脚注
[編集]- ^ 『北条市誌』 1401頁
- ^ 死者・行方不明者百九十三人に上る(昭和18年7月18日 毎日新聞(大阪 夕刊))『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p42 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 『北条市誌』 1402頁
- ^ 『北条市誌』 1403頁
- ^ a b 『北条市誌』 1404頁
- ^ a b c d e 『北条市誌』 1405頁
- ^ 『北条市誌』 316頁
- ^ a b c d 『北条市誌』 1406頁
- ^ 『北条市誌』 1407頁
- ^ 『北条市誌』 1407頁
- ^ 立岩ダム[愛媛県] - ダム便覧
- ^ 『北条市合併記念誌 飛』 20頁
- ^ a b 『北条市合併記念誌 飛』 22頁
- ^ a b c d 『北条市合併記念誌 飛』 24頁
- ^ a b c 『北条市合併記念誌 飛』 26頁
- ^ 北条ふれあいセンター
- ^ 『北条市合併記念誌 飛』 28頁
- ^ 松山市北条ふるさと館
- ^ 『北条市合併記念誌 飛』 32頁
- ^ 『北条市合併記念誌 飛』 34頁
- ^ 北条公民館 | 松山市公民館連絡協議会
- ^ a b c d 『北条市合併記念誌 飛』 36頁
- ^ 平成12年市長退任状況 - 全国市長会
- ^ チホウ政治じゃーなる vol.6 2000年2月24日号
参考文献
[編集]- 北条市誌編集委員会 『北条市誌』 北条市誌編纂会、1981年
- 北条市 『北条市合併記念誌 飛』 2004年
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 愛媛県北条市 (38211A1968) | 歴史的行政区域データセットβ版 - Geoshapeリポジトリ
- 松山市/企画政策課/松山市・北条市・中島町合併協議会