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高縄寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高縄寺

山門
所在地 愛媛県松山市立岩米之野459 高縄山山頂 
位置 北緯33度56分44.4秒 東経132度51分10.4秒 / 北緯33.945667度 東経132.852889度 / 33.945667; 132.852889 (高縄寺)座標: 北緯33度56分44.4秒 東経132度51分10.4秒 / 北緯33.945667度 東経132.852889度 / 33.945667; 132.852889 (高縄寺)
山号 河野山 (延宝年中改称、前・高野山)
宗派 真言宗醍醐派
本尊 十一面千手観世音菩薩
創建年 天智天皇の時代
開山 伝・小千守興(おちもりおき)
中興年 慶雲三年(706)八月
中興 伝・行基
正式名 河野山髙繩寺
札所等 風早八十八ケ所第12番札所、  花へんろ第三番札所
公式サイト 高縄寺
法人番号 9500005000102 ウィキデータを編集
高縄寺の位置(愛媛県内)
高縄寺
高縄寺
高縄寺 (愛媛県)
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本堂
大師堂

高縄寺(たかなわじ)は愛媛県松山市高縄山(標高986m))山頂近くに所在する真言宗醍醐派の寺院である。 本尊は十一面千手観音菩薩。 古代には、高縄山系では修験道が栄え、石鎚山に次ぐ聖地であった。

御詠歌:高縄の 峰の嵐ぞ 法の声、千代に八千代に 新たなりけり

概要

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天智天皇662年 - 671年)のとき、小千守興(おちもりおき)が横谷片山に一寺を創建、一寸八分の千手観音を勧請安置し、「普門院歓喜寺」と称し、河野家累代の祈願祈祷所とした。その後、行基が慶雲3年(706年)8月巡錫の砌り、この尊像を拝し、五尺余りの大像を彫刻して頭中に納めたと伝えられる。そして、弘法大師が巡錫の砌り、寺号を「高野山 髙縄寺」と改め、行基作の千手観音を安置する。 天文元年(1532年)元旦、河野通宣[1]公の霊夢に依り、作事奉行・須保木将監通方に仰せ付け、横谷村から高縄山(現在の場所)へ遷座した。 天正13年(1544年)戦火により堂宇は焼失するも、本尊のみ類焼をまぬがれる。その後、明和年間第13代住職・義天僧正に依り再建され、江戸末期に改修された。

毎年10月第4日曜日、平安末期から戦国末期にかけて勢力を誇った北条発祥の豪族・河野氏を顕彰する「河野氏まつり」の会場の一つとして同寺において、北条地域の大先祖である河野家累代、並びに各家の大先祖様の菩提を弔う法要が行われ、その後郷土芸能である伊豫漫才や獅子舞演舞が奉納される。

境内

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  • 山門:仁王門であり鐘門でもある
  • 本堂:本尊は秘仏ではあるが、毎年8月9日四万六千功徳日縁日、10月第4日曜日河野氏まつりの二日間のみ御開帳される。本尊・十一面千手観音、脇仏・不動明王と毘沙門天
  • 大師堂
  • 庫裡
  • たかなわ茶坊:メニューは水軍うどん、山伏ラーメン、山伏コーヒー、その他御守り等を販売。

※現在は、現住職夫妻が営業されている為、色々なお話や説法、時には、ご祈祷相談も受けられる。 (営業日は予約日のみ)

  • 宿坊:なし
  • 駐車場:約20台 

※山頂部大駐車場迄は、中型バスまでは通行可能。また最近大駐車場に洋式水洗公衆トイレが完成。

文化財

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愛媛県指定有形文化財
  • 木造千手観音立像:檜材の一木造、彫眼、42臀、像高147.3cm、平安後期作、昭和55年3月21日指定
松山市指定有形文化財
  • 妙法蓮華経八軸:昭和44年6月10日指定
松山市指定天然記念物
  • 千手杉:平成21年2月10日指定

※その他近くには、高縄山の目印になったとされる七本杉や、大師見返りの杉など巨木が立ち並ぶ。 ※山頂部は、県立奥道後玉川自然公園に指定され、ブナ林の最南限地であり、秋にはブナの紅葉が素晴らしい。  その他境内では、熊谷草や四国カッコウソウの群生も見られ、高縄半島最後のしだれ桜の開花時には、見応えがある。

脚注

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