高縄寺
高縄寺 | |
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山門 | |
所在地 | 愛媛県松山市立岩米之野459 高縄山山頂 |
位置 | 北緯33度56分44.4秒 東経132度51分10.4秒 / 北緯33.945667度 東経132.852889度座標: 北緯33度56分44.4秒 東経132度51分10.4秒 / 北緯33.945667度 東経132.852889度 |
山号 | 河野山 (延宝年中改称、前・高野山) |
宗派 | 真言宗醍醐派 |
本尊 | 十一面千手観世音菩薩 |
創建年 | 天智天皇の時代 |
開山 | 伝・小千守興(おちもりおき) |
中興年 | 慶雲三年(706)八月 |
中興 | 伝・行基 |
正式名 | 河野山髙繩寺 |
札所等 | 風早八十八ケ所第12番札所、 花へんろ第三番札所 |
公式サイト | 高縄寺 |
法人番号 | 9500005000102 |
高縄寺(たかなわじ)は愛媛県松山市高縄山(標高986m))山頂近くに所在する真言宗醍醐派の寺院である。 本尊は十一面千手観音菩薩。 古代には、高縄山系では修験道が栄え、石鎚山に次ぐ聖地であった。
御詠歌:高縄の 峰の嵐ぞ 法の声、千代に八千代に 新たなりけり
概要
[編集]天智天皇(662年 - 671年)のとき、小千守興(おちもりおき)が横谷片山に一寺を創建、一寸八分の千手観音を勧請安置し、「普門院歓喜寺」と称し、河野家累代の祈願祈祷所とした。その後、行基が慶雲3年(706年)8月巡錫の砌り、この尊像を拝し、五尺余りの大像を彫刻して頭中に納めたと伝えられる。そして、弘法大師が巡錫の砌り、寺号を「高野山 髙縄寺」と改め、行基作の千手観音を安置する。 天文元年(1532年)元旦、河野通宣[1]公の霊夢に依り、作事奉行・須保木将監通方に仰せ付け、横谷村から高縄山(現在の場所)へ遷座した。 天正13年(1544年)戦火により堂宇は焼失するも、本尊のみ類焼をまぬがれる。その後、明和年間第13代住職・義天僧正に依り再建され、江戸末期に改修された。
毎年10月第4日曜日、平安末期から戦国末期にかけて勢力を誇った北条発祥の豪族・河野氏を顕彰する「河野氏まつり」の会場の一つとして同寺において、北条地域の大先祖である河野家累代、並びに各家の大先祖様の菩提を弔う法要が行われ、その後郷土芸能である伊豫漫才や獅子舞演舞が奉納される。
境内
[編集]- 山門:仁王門であり鐘門でもある
- 本堂:本尊は秘仏ではあるが、毎年8月9日四万六千功徳日縁日、10月第4日曜日河野氏まつりの二日間のみ御開帳される。本尊・十一面千手観音、脇仏・不動明王と毘沙門天
- 大師堂
- 庫裡
- たかなわ茶坊:メニューは水軍うどん、山伏ラーメン、山伏コーヒー、その他御守り等を販売。
※現在は、現住職夫妻が営業されている為、色々なお話や説法、時には、ご祈祷相談も受けられる。 (営業日は予約日のみ)
- 宿坊:なし
- 駐車場:約20台
※山頂部大駐車場迄は、中型バスまでは通行可能。また最近大駐車場に洋式水洗公衆トイレが完成。
文化財
[編集]- 愛媛県指定有形文化財
- 木造千手観音立像:檜材の一木造、彫眼、42臀、像高147.3cm、平安後期作、昭和55年3月21日指定
- 松山市指定有形文化財
- 妙法蓮華経八軸:昭和44年6月10日指定
- 松山市指定天然記念物
- 千手杉:平成21年2月10日指定
※その他近くには、高縄山の目印になったとされる七本杉や、大師見返りの杉など巨木が立ち並ぶ。 ※山頂部は、県立奥道後玉川自然公園に指定され、ブナ林の最南限地であり、秋にはブナの紅葉が素晴らしい。 その他境内では、熊谷草や四国カッコウソウの群生も見られ、高縄半島最後のしだれ桜の開花時には、見応えがある。