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京都府立北嵯峨高等学校

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北嵯峨高校から転送)
京都府立北嵯峨高等学校
地図北緯35度1分33秒 東経135度40分51秒 / 北緯35.02583度 東経135.68083度 / 35.02583; 135.68083座標: 北緯35度1分33秒 東経135度40分51秒 / 北緯35.02583度 東経135.68083度 / 35.02583; 135.68083
国公私立の別 公立学校
設置者 京都府の旗 京都府
学区 京都市・乙訓通学圏
校訓 独創質実
設立年月日 1975年2月17日
開校記念日 2月17日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学科内専門コース 人文科学コース
自然科学コース
文科科学コース
スポーツ科学コース
学期 3学期制
学校コード D126210000159 ウィキデータを編集
高校コード 26108E
所在地 616-8353
京都府京都市右京区嵯峨大沢柳井手町
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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京都府立北嵯峨高等学校の位置(京都府内)
京都府立北嵯峨高等学校

京都府立北嵯峨高等学校(きょうとふりつ きたさがこうとうがっこう)は、京都府京都市右京区嵯峨大沢柳井手町に所在する府立高等学校

設置学科

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  • 普通科
    • 人文科学コース
    • 自然科学コース
    • 文科科学コース
    • スポーツ科学コース

概要

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風光明媚な嵯峨嵐山大覚寺に隣接する。バレーボール、ハンドボール、野球などで全国大会出場の経験がある。

校是は「独創質実」(何事も自らで考え、主体的に判断し、真摯な態度と素直なこころで行動する)。

沿革

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  • 1973年9月 - 新設計画が府議会で提出[1]
  • 1974年
    • 3月 - 建設予定地が決定[1]
    • 11月 - 予定よりも遅れて用地買収を開始[1]
  • 1975年
    • 2月17日 - 京都府立新設高等学校(右京地区)開設準備室を京都市立梅屋小学校内に設ける。
    • 3月1日 - 京都府立北嵯峨高等学校が、京都府条例により設置される。全日制普通科設置決定。
    • 4月9日 - 第1回入学式を京都市立洛南中学校講堂において挙行する。(入学生269名) [1]
    • 4月10日 - 建設工事の遅れにより、京都府立朱雀高等学校鳥羽分校(現京都府立鳥羽高等学校)において授業開始[1][2][3]
    • 8月29日 - 現在地に設置されたプレハブ校舎に移転。
    • 9月1日 - 本建築第一期工事開始。
  • 1976年
    • 3月29日 - 新校舎(管理棟・理科教室・体育館)へ移転。
    • 7月29日 - プレハブ校舎一部移転。
  • 1977年3月28日 - 新校舎(第2棟・第4棟・図書館等)へ一部移転。
  • 1978年3月28日 - 第3期工事(第3棟)完成。
  • 1982年3月20日 - 格技場完成。
  • 1988年6月30日 - 体育振興施設完成。
  • 1990年3月 - 第62回選抜高等学校野球大会に野球部が出場。
  • 1993年3月31日 - コンピュータ教室設置。

部活動

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  • 体育会系
    • バレーボール
    • バスケットボール
    • 野球
    • ハンドボール
    • サッカー
    • 剣道
    • 卓球
    • 陸上

著名な出身者

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スポーツ
音楽、芸能、メディア
行政
その他

交通

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脚注

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  1. ^ a b c d e 『間借りでスタート 京都府立北嵯峨高校で入学式 校長あいさつ ”悪条件を克服しよう”』(京都新聞)1975年4月10日付朝刊17面
  2. ^ 『未整備であす入学式 新設の府立北稜高校 運動場どろんこ トイレも仮設 用地買収手間どって』(京都新聞)1980年4月7日、夕刊10面
  3. ^ 『制服でシャキッ 今春開校の府立2校が採用 北嵯峨と向陽で制服導入』(京都新聞)1975年4月19日付朝刊23面

関連項目

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外部リンク

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