北九州女子短期大学
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北九州女子短期大学 | |
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大学設置 | 1968年 |
創立 | 1948年 |
廃止 | 1974年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人篠原学園 |
本部所在地 | 福岡県北九州市小倉南区守恒477[1] |
学部 | 被服科 |
北九州女子短期大学(きたきゅうしゅうじょしたんきだいがく)は、福岡県北九州市小倉南区守恒477[1]に本部を置いていた日本の私立大学である。1968年に設置され、1974年に廃止された。1974年9月30日廃校[2]。学生募集は1972年度で最終と思われるが、詳細は不明[3]廃校後のキャンパス跡地は北九州市立守恒小学校の建設に利用された[1]。
概要
[編集]大学全体
[編集]教育および研究
[編集]- 北九州女子短期大学は主に服飾系の教育に力をいれており、「服飾美術」、「デザイン」、「教養」の各コースが設けられていた[4]。
学風および特色
[編集]- 北九州女子短期大学は「創立以来の伝統と実績を踏まえ、多彩な教授陣や静かな環境のもとで高度社会のニーズに応え且つ衣服および生活の美を見出し・創造できる女性の育成」が教育のねらいとなっていた[4]。
沿革
[編集]基礎データ
[編集]所在地
[編集]- 福岡県北九州市小倉南区守恒477[1]
年度別学生数
[編集]通学課程
[編集]- | 入学定員 | 総定員 | 学生数 | 出典 |
---|---|---|---|---|
1968年 | 120 | 120 | 女71 | [5] |
1969年 | 120 | 240 | 女71 | [6] |
1970年 | 120 | 240 | 女140 | [7] |
1971年 | 120 | 240 | 女103 | [8] |
1972年 | 120 | 240 | 女61 | [9] |
1973年 | - | 120 | 女28 | [10] |
1974年 | - | - | 女28 | [11] |
教育および研究
[編集]組織
[編集]学科
[編集]- 被服科:入学定員は120人となっていた。
専攻科
[編集]- なし
別科
[編集]- なし
取得資格について
[編集]大学関係者と組織
[編集]大学関係者一覧
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施設
[編集]キャンパス
[編集]対外関係
[編集]系列校
[編集]- 小倉ドレスメーカー女学院
- 徳力団地幼稚園:但し、現在は学校法人黒木学園に組織変更されている。[12]
卒業後の進路について
[編集]就職について
[編集]- 服飾業界への就職者が多かったようである。
参考文献
[編集]- 『全国学校総覧』昭和44年度版 -
- 全国高等学校長協会編『教員養成課程認定大学・短期大学等総覧』(第一法規出版)
- 『全国短期大学高等専門学校一覧』(財団法人文教協会)昭和49年度版 -
- 『全国短期大学受験要覧』(廣潤社)1970年度版 - 1996年度版
- 『全国短期大学案内』(教学社)発行初年度版 -
- 『全国短期大学受験案内』(晶文社)昭和40年度版 -
- 『全国短期大学案内』(梧桐書院)1971年度用 -
脚注
[編集]- ^ a b c 北九州市立守恒小学校ホームページによると、現在地は小倉南区星和台二丁目1番1号となっている。
- ^ a b 平成23年度『短期大学一覧』292頁より
- ^ 修業年限2年で1974年9月30日廃校となれば、精々1972年度までの募集だと考えられる。ただ、昭和50年度『全国短期大学受験案内』(晶文社)480頁に当短期大学の受験に関する記載があり、しかも「上記は49年度(1974年)の資料に基づいています」という記述もある。また、昭和48年度『短期大学一覧』(1973年5月1日時点)72頁にもまだ「募集停止」の旨の記事がない。
- ^ a b c 『全国短期大学受験案内 75』480頁より(晶文社)
- ^ 昭和44年度版『全国学校総覧』46頁(以下、『総覧』と略する。)
- ^ 昭和45年度版『総覧』46頁より。何故か昨年度と同数となっている。
- ^ 昭和46年度版『総覧』47頁
- ^ 昭和47年度版『総覧』47頁
- ^ 昭和48年度版『総覧』49頁
- ^ 昭和49年度版『総覧』50頁
- ^ 昭和50年度版『総覧』52頁より。何故か昨年度と同数となっている。
- ^ 徳力団地幼稚園より