勝田充
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勝田 充(かつた みつる、生年不詳 - 慶応元年(1865年))は、幕末の幕臣(旗本)。充万[1]とも。御家人・勝田弥十郎成信の次男、通称は次郎。官途は伊賀守。
生涯
[編集]もともとは将軍にお目見え以下の御家人だったが、天保12年(1841年)に普請方に昇格し旗本となり、翌年には関東代官となり各地を転勤する。安政元年(1854年)に勘定吟味役となり、安政5年(1858年)3月には箱館蝦夷地御用江戸取扱を命ぜられた。同年神奈川開港取調掛に任ぜられ、外国奉行の補佐として横浜の開港を実現させている。万延元年(1860年)箱館奉行となり従五位下伊賀守に叙任され2年在勤ののち、再び勘定吟味役となり江戸城本丸普請掛に精を出し、慶応元年(1865年)に没した。墓所は東京都新宿区四谷の西念寺。
注釈
[編集]- ^ みつかず(北海道史人名字彙 第1巻)
参考文献
[編集]- 『広報古河』(2012年5月1日発行)
- 『北海道史第1巻』(1918年)