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勝手神社 (奈良市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
勝手神社

勝手神社
所在地 奈良県奈良市油阪町420
位置 北緯34度41分4.48秒 東経135度49分26.39秒 / 北緯34.6845778度 東経135.8239972度 / 34.6845778; 135.8239972 (勝手神社 (奈良市))座標: 北緯34度41分4.48秒 東経135度49分26.39秒 / 北緯34.6845778度 東経135.8239972度 / 34.6845778; 135.8239972 (勝手神社 (奈良市))
主祭神 事代主命
例祭

12月8日:例祭

7月末の日曜日:シンコ祭り
地図
勝手神社の位置(奈良市内)
勝手神社
勝手神社
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勝手神社(かつてじんじゃ)は、奈良県奈良市油阪町(あぶらさかちょう)にある神社

歴史

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本殿

創建時期は明らかではないが、享保20年(1735年)発行の『奈良坊目拙解』において『勝手明神社、当町坂新屋南の辻と、北西南の町会所裏に在る』と記されている[1]。その他、『奈良曝』『平城坊目考』などの地誌にも勝手明神として記録が残されている[2][3]

宝永元年(1704年4月11日に火災にあい、その後再造営された[4][1]。享保2年(1717年2月22日にも火災にあい、翌3年(1718年)正月に再造営されている[4][1]

1912年大正元年)9月11日に一度漢国神社に合祀されたが、現在は境外末社である[5]

祭神

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奈良市史に従うと事代主命であるが[5]、奈良坊目拙解や南都年中行事では吉野山口神(勝手明神)とされている[1][6]

祭礼

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例祭

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12月8日[5]

シンコ祭り

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7月末の日曜日に夏祭りが行われ、糝粉(シンコ)を作って供えることより「油阪勝手のシンコ祭り」と呼ばれる[7]

かつては3月8日に行われ、湯立神楽が催され、赤白の長団子(赤は赤小豆を入れたもの、白は糝粉細工)を供えた後、参詣者に配ったという[7][6]。白い長団子は白糸とも藤の花とも呼ばれ、赤い長団子は赤い糸になぞらえて深紅(シンコ、赤い色の糸の和名)と呼ばれた[1][6][注釈 1]。シンコ祭りは深紅祭りともされる[1][6]

勝手明神の祝言

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今は行われていないが、かつては6月晦日、近隣の今辻子町九頭明神の例祭の際に、油阪町の人々がおのおの素襖、袴、烏帽子を着けて集まり、当社で婚姻祝言を模した儀式をした後、九頭明神に参る習慣があり、「勝手明神の祝言」と呼ばれた[7][6][8][注釈 2]寛永19年(1642年11月27日の南都大火災以後、この祭礼は廃れたという[6][注釈 3]

交通アクセス

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脚注

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注釈

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  1. ^ 奈良坊目拙解では「真紅」と表記されている。
  2. ^ 6月晦日ではなく6月朔日とする記述もある[6][7]が、九頭明神の例祭と同日であるとの記述を重視し6月晦日説を優先した。
  3. ^ 延宝年中まで続いたとの記述もある[8]

出典

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  1. ^ a b c d e f 坊目拙解, p. 293.
  2. ^ 奈良曝, p. 37.
  3. ^ 平城坊目考 下, p. 47.
  4. ^ a b 年中行事, p. 101.
  5. ^ a b c 奈良市史, p. 265.
  6. ^ a b c d e f g 年中行事, p. 100.
  7. ^ a b c d 奈良大和の社会史点描, p. 108.
  8. ^ a b 年中行事, p. 161.

参考文献

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  • 奈良市史編集審議会 編『奈良市史 社寺編』吉川弘文館、1985年。 
  • 岩井宏實『奈良大和の社会史点描』岩田書院、2010年。 
  • 村井古道 著、喜多野徳俊 訳・註 編『奈良坊目拙解』綜芸社、1977年。 
  • 村井古道 著、喜多野徳俊 訳・註 編『南都年中行事』綜芸社、1979年。 
  • 『奈良曝(奈良市史編集審議会会報)』奈良市史編集審議会、1963年。 
  • 久世宵瑞 金沢昇平『平城坊目考 下』阪田稔、1890年。