勘解由小路資忠
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永9年1月6日(1632年2月25日) |
死没 | 延宝7年1月12日(1679年2月22日) |
官位 | 正三位・参議 |
主君 | 明正天皇 |
氏族 | 勘解由小路家 |
父母 | 父:烏丸光広 |
兄弟 |
烏丸光賢、明正院梅小路局、六角広賢、烏丸親広、親広、照貞[1]室、 後水尾天皇女二宮上臈 |
子 |
阿部正春継室 養子:韶光 |
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勘解由小路 資忠(かでのこうじ すけただ)は、江戸時代前期の公卿・歌人。勘解由小路家の祖。
正保元年(1644年)、藤原北家日野流・勘解由小路家を興した。男子に恵まれず烏丸光雄(烏丸資慶の子)の子の韶光を養子とした。
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