加野宗三郎
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加野 宗三郎(かの そうざぶろう、1889年7月14日 - 1946年1月23日[1])は、日本のパトロン、美術品収集家。
経歴・人物
[編集]「金盛」という酒を醸造販売する、造り酒屋「萬屋」を営む加野熊次郎の長男として、福岡市中奥堂町(現・博多区)に生まれる[2]。1908年福岡県立中学修猷館を経て[3]、1911年大阪高等工業学校(現・大阪大学工学部)醸造科を卒業[1]。
家業の酒造業を営む傍ら、美術や文芸に関心を向け、多くの美術家や詩人・俳人らと交友を持つ。所有する別邸「柳北亭」や「環水荘」は、来福の文人墨客のたまり場となった。交友のあった美術家には、青木繁、青山熊治、津田青楓、森田恒友、正宗得三郎、村上華岳、榊原紫峰、冨田溪仙、小野竹喬、山崎朝雲、冨永朝堂、恩地孝四郎などがあり、文筆家では与謝野鉄幹・晶子夫妻、北原白秋、吉井勇、高浜虚子といった人たちがいた。その中の何人かは大阪遊学中からの友人であったと考えられる[2]。
一時は福岡県多額納税者に列せられるほどの資産家であったが[1]、家業の酒造業がいきづまり、芸術家のパトロン的存在であったのは、環水荘を手放した1934年頃までであったと思われる[2]。