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加野宗三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

加野 宗三郎(かの そうざぶろう、1889年7月14日 - 1946年1月23日[1])は、日本パトロン美術品収集家。

経歴・人物

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「金盛」という酒を醸造販売する、造り酒屋「萬屋」を営む加野熊次郎の長男として、福岡市中奥堂町(現・博多区)に生まれる[2]。1908年福岡県立中学修猷館を経て[3]、1911年大阪高等工業学校(現・大阪大学工学部)醸造科を卒業[1]

家業の酒造業を営む傍ら、美術や文芸に関心を向け、多くの美術家や詩人・俳人らと交友を持つ。所有する別邸「柳北亭」や「環水荘」は、来福の文人墨客のたまり場となった。交友のあった美術家には、青木繁青山熊治ドイツ語版津田青楓森田恒友正宗得三郎村上華岳榊原紫峰冨田溪仙小野竹喬山崎朝雲、冨永朝堂、恩地孝四郎などがあり、文筆家では与謝野鉄幹晶子夫妻、北原白秋吉井勇高浜虚子といった人たちがいた。その中の何人かは大阪遊学中からの友人であったと考えられる[2]

一時は福岡県多額納税者に列せられるほどの資産家であったが[1]、家業の酒造業がいきづまり、芸術家のパトロン的存在であったのは、環水荘を手放した1934年頃までであったと思われる[2]

出典

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  1. ^ a b c 『人事興信録第12版』(人事興信所、1939年)カ-42頁
  2. ^ a b c 『福岡県百科事典 上巻』(西日本新聞社、1982年)388頁
  3. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員7頁