加藤友介
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名前 | ||||||
カタカナ | カトウ ユウスケ | |||||
ラテン文字 | KATO Yusuke | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1986年2月13日(38歳) | |||||
出身地 | 大阪府箕面市 | |||||
身長 | 172cm | |||||
体重 | 68kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF/FW | |||||
利き足 | 右 | |||||
ユース | ||||||
2005-2006 | CAウラカン | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2006-2009 | CAウラカン | 15 | (1) | |||
2008-2009 | → デフェンソーレス・ベルグラーノ(loan) | 13 | (1) | |||
2011 | MIOびわこ草津 | 0 | (0) | |||
2012 | デンポSC | 4 | (1) | |||
2012 | BECテロ・サーサナFC | 12 | (2) | |||
2013 | ナコーンラーチャシーマーFC | 31 | (14) | |||
2014 | サムットソンクラームFC | 24 | (4) | |||
2015 | BBCU FC | 30 | (14) | |||
2016 | ウドーンターニーFC | 9 | (0) | |||
2016 | アーントーンFC | 5 | (0) | |||
2017 | 南華足球隊 | 8 | (2) | |||
2017 | グレシック・ユナイテッドFC | |||||
2018 | FC墨田ウランバートル | |||||
2018 | ムクチョッダ・サンサドKS | |||||
2019-2020 | シェイクジャマル | |||||
2021 | ムクチョッダ・サンサドKS | |||||
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加藤 友介(かとう ゆうすけ、1986年2月13日 - )は大阪府出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。
来歴
[編集]中学時代には地元のガンバ大阪ジュニアユースチームのセレクションを受けたが、合格はできなかった。中学2年生の夏休みにアルゼンチンのCAウラカンのU-14チームに短期留学。2004年、刀根山高校卒業後に、留学時代のツテでアルゼンチンへと渡り、ウラカンのU-18チームに所属する。
2005年にはU-20チームへと順調に昇格し、2006年10月に当時プリメーラB(2部リーグ)所属だったウラカンのトップチームに昇格。 2007年4月12日のタジェレス戦では決勝点をマークするなど、チームのプリメーラA(1部リーグ)復帰に貢献。 同年8月5日の2007-08シーズン開幕戦アルセナルFC戦で後半32分から途中出場。ボカ・ジュニアーズに在籍していた高原直泰以来となるアルゼンチン1部リーグでプレー経験のある日本人選手となった。2008-09シーズンはプリメーラC(3部リーグ)のデフェンソーレス・ベルグラーノにレンタル移籍していたが、給料未払いなどの問題があって退団し、2009年11月に日本に帰国した。
2009年12月、Jリーグ・ベガルタ仙台の練習に参加するも、契約には至らず[1]、2011年よりJFLのMIOびわこ草津に入団。
同年限りでMIOびわこ草津を退団し、翌2012年よりインド・IリーグのデンポSCに移籍した。
2012年、タイ・プレミアリーグ(1部)のBECテロ・サーサナFCに移籍。
2013年、タイ・ディヴィジョン1リーグ(2部)のナコーンラーチャシーマーFCに移籍すると、同リーグで得点ランキング7位タイの15得点を記録した。
2014年、タイ・プレミアリーグ(1部)のサムットソンクラームFCに2年契約で移籍したことが発表された[2]。
2017年、プミポン国王死去によるタイの経済状況悪化により、香港プレミアリーグ・南華足球隊へ移籍し、半年プレー[3]。その後、インドネシアのグレシック・ユナイテッドFCで半年プレーした[3]。
2018年はモンゴルのFC墨田ウランバートルでトーナメント戦のみプレーする短期契約を結び[3]、シーズン残りをバングラデシュ・プレミアリーグのムクチョッダ・サンサドKSでプレー。
2019年からは同リーグのシェイク・ジャマル・ダンモンディ・クラブに在籍。
2021年に再びムクチョッダ・サンサドKSに復帰したが、開幕前にオーナーが権利を放棄したためキャプテンとして資金集めに奔走[4]。さらにクラウドファンディングも実施、結果的に開幕前までに年間運営費用の8割が補填された[5]。
2021年限りで現役を引退し[6]、引退後はタイに移住してサッカースクールのコーチに就任することをブログで発表した[7]。
所属クラブ
[編集]- ユース経歴
- 2001年 - 2003年 大阪府立刀根山高等学校
- 2004年 - 2005年 CAウラカンU-18
- 2005年 - 2006年10月 CAウラカンU-20
- プロ経歴
- 2006年10月 - 2009年 CAウラカン
- 2008年 - 2009年 デフェンソーレス・ベルグラーノ (en) (レンタル移籍)
- 2011年 MIOびわこ草津
- 2012年 デンポSC
- 2012年 BECテロ・サーサナFC
- 2013年[8] ナコーンラーチャシーマーFC
- 2014年 サムットソンクラームFC
- 2015年 BBCU FC
- 2016年 ウドーンターニーFC
- 2016年 アーントーンFC
- 2017年 南華足球隊
- 2017年 グレシック・ユナイテッドFC
- 2018年 FC墨田ウランバートル
- 2018年 ムクチョッダ・サンサドKS
- 2019年 - 2020年 シェイク・ジャマル・ダンモンディ・クラブ
- 2021年 ムクチョッダ・サンサドKS
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ “アルゼンチン帰りの加藤が練習参加…仙台”. スポーツ報知 (2009年12月9日). 2009年12月9日閲覧。
- ^ “サムットソンクラームFC、加藤友介(ナコンラチャシマーFC)の獲得を発表!!”. Samurai×TPL (2013年12月4日). 2014年1月3日閲覧。
- ^ a b c Otsu, Kazutaka (2020年4月29日). “【アルゼンチン育ちの点取り屋】なぜ加藤友介はアジアで活躍出来るのか”. ドバイとタイを拠点に活動をするサッカーエージェント会社 GOAL Sports Agency. 2021年3月19日閲覧。
- ^ “熱狂求め7カ国でプレー 日本人サッカー選手―バングラ、資金難で奔走:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2021年3月19日閲覧。
- ^ “なぜバングラデシュに? 35歳日本人がサッカークラブ“市民兵”の主将として必死にスポンサー集めをする理由(栗田シメイ)”. Number Web - ナンバー. 2021年3月19日閲覧。
- ^ “サッカーチームが存続の危機に。「救世主」が語る、波乱の3年間”. Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン) (2021年12月23日). 2022年2月13日閲覧。
- ^ “加藤友介『【今後のお話】』”. 加藤友介オフィシャルブログ Powered by Ameba. 2022年2月13日閲覧。
- ^ สวาทแคทจัดหนักเสริมแข้งปลาดิบเข้ารังรวดเดียว 3 คน swatcatfc.net 2012.12.11
外部リンク
[編集]- 加藤友介オフィシャルサイト
- 加藤友介オフィシャルブログ
- 加藤友介 - YouTubeチャンネル
- 加藤友介 (@yusukekato22) - X(旧Twitter)