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加治寿衛吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

加治 寿衛吉(壽衞吉、かじ すえきち、1868年10月8日(明治元年8月23日[1][2][3][4])- 1926年大正15年)2月25日[5])は、明治から大正期の実業家政治家衆議院議員

経歴

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讃岐国那珂郡丸亀城下(香川県[5]那珂郡丸亀町[2][3]仲多度郡丸亀町を経て現丸亀市[6])で、丸亀藩士・加治重国の二男として生まれる[2][3][4]郷校で学び、1883年(明治16年)に上京して法律学を研究した[2][3]

自由民権運動に加わり、1890年(明治23年)愛国公党に入党[2][3][4]。その後大同団結運動に参加し、国民自由党に入党してその勢力の拡張に尽力した[2][3]

1897年(明治30年)頃から実業界に入り、鹿島鉄道発起人、皇国生命保険会社顧問に就任[2][3][4]。1906年(明治39年)東京通信社に入社し、その後社長を務めた[2][3][5][6]。その他、万世銀行取締役兼支配人、東京証券信託取締役、特許豆乳取締役、東京実業銀行監査役などに在任した[2][3][4]。また鉱山業も営んだ[5][6]

1908年(明治41年)5月の第10回衆議院議員総選挙で香川県丸亀市から出馬して初当選[2][4][7]第11回第12回総選挙では白川友一と激しく戦ったがいずも落選[3][7]。白川が1916年(大正5年)1月19日、衆議院議員選挙法違反事件で有罪が確定して議員を退職[8]したため、繰上補充で衆議院議員に就任[5][9]。1917年(大正6年)4月の第13回総選挙で再選され、衆議院議員に通算3期在任した[5][6]

国政選挙歴

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脚注

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  1. ^ 衆議院『第三十八回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1917年、24頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『大日本人物誌』か之部111頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『現代日本の政治家』同志会144-145頁。
  4. ^ a b c d e f 『大正人名辞典 第3版』1913頁。
  5. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』158頁。
  6. ^ a b c d 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』116頁。
  7. ^ a b c d e 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』72頁。
  8. ^ 『官報』第1041号、大正5年1月24日。
  9. ^ 『官報』第1050号、大正5年2月3日。
  10. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』96頁。
  11. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第14回』25頁。

参考文献

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  • 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
  • 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
  • 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第14回』衆議院事務局、1924年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。