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加地為利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
加地為利
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 享禄5年6月22日1532年7月16日
改名 為利、宗三
別名 丹後守
戒名 宗三
主君 三好元長
氏族 加地氏
不詳(同時に死亡)
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加地 為利(かじ ためとし)は、戦国時代武将三好氏の家臣。官途丹後守。晩年に出家して宗三と名乗る。

生涯

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細川氏被官ではあるものの、実質的には守護代三好元長に仕えて、塩田一忠らとともに「三好殿年寄中」と呼ばれ、家臣団の中核をなした。

享禄5年(1532年)1月、三好元長に倣って出家し、名を宗三と改めた[1][2]

同年5月、天文の錯乱で三好元長は木沢長政と3万の一向一揆勢に攻められて、三好長家(遠江守)が戦死し飯盛山城高屋城が落城、一向一揆勢は10万に膨れ上がった。同年6月、最後に立てこもった顕本寺も包囲され、三好元長、三好一秀塩田胤光(若狭守)とその子2人らとともに、為利と為利の子は自害した[3]

関連項目

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出典

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  1. ^ 小川信. “久我家文書解説 6 関所・商業座等からの収益”. デジタルライブラリー. 國學院大學図書館. 2017年10月24日閲覧。
  2. ^ 三好氏と長洲荘」(PDF)『地域史研究』第113巻、尼崎市立地域研究史料館、2013年11月、11頁、2017年10月24日閲覧 
  3. ^ 塙保己一 編「細川兩家記」『群書類従 第拾參輯』経済雑誌社、1893-1894。全国書誌番号:20474265https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879780/310。「加地權助手七ツ」