劉広徳
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劉 広徳(劉廣德、りゅう こうとく、527年 - 569年)は、南朝梁から陳にかけての軍人。本貫は南陽郡安衆県。西晋の鎮東将軍の劉喬の九世孫にあたる。
経歴
[編集]梁の安西湘東王長史・南郡太守の劉之亨(劉虯の子)の子として生まれた。学問を好み、才能への自負が強かった。承聖年間、軍功により給事黄門侍郎・湘東郡太守に任じられた。西魏軍の攻撃により江陵が陥落すると、広徳は王琳に従った。王琳が陳に敗れて北斉に逃亡すると、広徳は陳の文帝に降って、その旧兵を領したまま寧遠始興王府限外記室参軍となった。まもなく太尉の侯瑱の下で湘州府司馬となり、楽山郡太守・豫章郡太守・新安郡内史を歴任した。光大年間、仮節・員外散騎常侍・雲旗将軍・河東郡太守となった。
太建元年(569年)、河東郡で死去した。享年は43。左衛将軍の位を追贈された。