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劉 太真(りゅう たいしん、生年不詳 - 789年頃)は、中国・唐の詩人。宣州溧水県の出身。
文章を得意とし、蕭穎士に師事した。天宝15年(756年)、進士に及第した。大暦年間、淮南節度使の陳少游の下で掌書記となった。中書舎人から工部侍郎となった。興元元年(784年)、河東宣慰賑給使となり、刑部侍郎に累進した。貞元4年(788年)9月、徳宗が群臣を集めて曲江で宴会を催し、詩を作らせると、太真と李紓らが上席となった。礼部に転じ、人事をつかさどって大臣の子弟を多く任用した。貞元5年(789年)、事件に連座して信州刺史に左遷され、死去した。
- 『旧唐書』巻137 列伝第87
- 『新唐書』巻203 列伝第128 文芸下