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劉儀順

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

劉 儀順(りゅう ぎじゅん、Liú Yíshùn1778年 - 1868年)は、末の号軍の蜂起の指導者の一人。

四川省叙州府宜賓県出身。道光年間に白蓮教の流れをくむ民間宗教の灯花教に加入。やがて教主となり、各省に官憲の目を逃れて秘密裏に布教に赴いた。咸豊年間になると灯花教は貴州省銅仁府石阡府思南府などのミャオ族居住地で勢力を増し、1858年1月に蜂起した。灯花教徒軍は号軍と呼ばれ、黄・白・青・紅に分かれていたが、白号を率いる劉儀順は総首領として仰がれ、「老教主」「老祖祖」と呼ばれた。さらに号軍は朱明月(本名は張保山)を王として、劉儀順自らは大丞相と称し、年号を嗣統とした。しかし1868年、清軍が号軍に対して一斉攻撃を開始し、白号の拠る福泉大坪は陥落し、劉儀順は捕えられ、成都に送られて処刑された。

参考文献

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  • 『中国歴史大辞典・清史(下)』、上海辞書出版社