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前田新太郎

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前田 新太郎(まえだ しんたろう、1914年4月25日[1] - 没年不明)は、日本経済学者財政学専攻。北海道大学経済学部長、千葉大学人文学部教授、福島大学経済学部教授などを務めた。

経歴・人物

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愛知県出身。名古屋市立名古屋商業学校(現名古屋市立名古屋商業高等学校)を経て、1936年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)卒業[2]。1939年東京商科大学(現一橋大学)卒業[3][4]中山伊知郎門下[4]

横浜市立横浜商業専門学校(現横浜市立大学)助教授を経て、1943年同教授[4][5][6]。1951年文部教官任官北海道大学法経学部経済学科助教授(財政学[7][8]

1962年北海道大学経済学博士[9]。北海道大学経済学部教授を経て、1963年から北海道大学経済学部長を併任し[10]、学部創立十周年記念事業の構想を発表し、クラーク会館で記念祝賀会を行った[8]。1967年再度北海道大学経済学部長を併任[11]

1971年千葉大学人文学部教授(財政学)。1976年福島大学経済学部教授[12][13][8]。1979年に退官[14]千葉商科大学教授(財政学)[15]。1987年勲二等瑞宝章受章[16]

著作

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著書

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  • 小原敬士編 『代雇傭理論の展望』東洋経済新報社 1949年

訳書

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出典

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  1. ^ 『人事興信録 第25版 下』(人事興信所、1969年)ま25頁
  2. ^ 名古屋高等商業学校其湛会会員名簿
  3. ^ 官報 1939年06月03日
  4. ^ a b c 齊藤毅憲Y専(横浜市立横浜商業専門学校)の歴史 ―横浜市立大学創立100年にむけて―(つづき)」『横浜市立大学論叢.社会科学系列』第70巻第3号、横浜市立大学学術研究会、2019年、135-211頁、doi:10.15015/00001709 
  5. ^ 官報 1943年02月06日
  6. ^ 官報 1943年02月08日
  7. ^ 官報昭和26年本紙第7358号 378頁
  8. ^ a b c 経済学部. 一 法文・法経学部時代. 二 経済学部の独立と拡充. 三 経済学部の発展. 四 むすびー現況. あとがき. 年表」『北大百年史』部局史、1980年、337-371頁、hdl:2115/29980 
  9. ^ 前田新太郎『財政政策の長期と短期に関する研究 : 資本主義経済の歴史的現在に関する政策として』 北海道大学〈経済学博士 報告番号不明〉、1962年。NAID 500000319086https://id.ndl.go.jp/bib/000007814712 
  10. ^ 官報昭和38年本紙第10886号 83頁
  11. ^ 官報昭和42年本紙第12089号 11頁
  12. ^ 千葉大学「第3章 法経学部」『千葉大学五十年史』千葉大学、1999年。CRID 1130282269014842880https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900120589/ 
  13. ^ 相磯和嘉「環境科学研究機構の発足に際して」『千葉医学会雑誌』第48巻第1号、千葉医学会、1972年、2頁、ISSN 0009-3459CRID 1050288547197265664 
  14. ^ 山田舜「経済学部長のあいさつ」『商学論集』第47巻第4号、福島大学経済学会、1979年、140-139頁、ISSN 02878070 
  15. ^ 週刊読売 = The Yomiuri weekly 44(39)(1925);1985・9・22 (読売新聞社, 1985-09)
  16. ^ 官報昭和62年号外第44号 1頁
先代
伊藤俊夫
北海道大学経済学部長
1963年 - 1965年
次代
早川泰正
先代
早川泰正
北海道大学経済学部長
1967年 - 1969年
次代
新川士郎